「昭和が生んだ写真・怪物 時代を語る林忠彦の仕事」


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かつて林忠彦という写真家がいた。今年2018年は生誕100年にあたっていて、フジフイルムスクエア内にある写真歴史博物館で企画写真展が開催されているという。というわけで、ちょっとのぞきに行ってきた。

http://fujifilmsquare.jp/detail/18040104.html
(7月31日まで。入場無料)

林忠彦という名前を一番最初に目にしたのは、たしか『カストリ時代』という本だった。


(朝日文庫 初版1987年。先に出ていた単行本に著者聞き書きなどを追加・再構成したもの。この本もとうの昔に絶版である)

この本を古本で手に入れた当時は昔の東京にちょっと凝っていた。戦後の焼け跡から東京オリンピックまでを中心に、昭和全般を概観するような写真集を手に入れては、写真に写し撮られた昔の街並みを眺めていた記憶がある。オリンピック開発で破壊されてしまう前の東京には、なんというか旧き良きアジアの小都市といった趣があった。

その一環で『カストリ時代』をタイトル買いしてみたら写真も著者が語る当時のできごとも、滅法面白かった。こんな時代があったのか、苦労もあっただろうけど、ちょっとずるいなあ、面白すぎるなあ、というのが第一印象。ちなみにカストリとは戦後密造された粗悪な焼酎のことだが、著者である林忠彦が関わっていたような大衆雑誌も「カストリ雑誌」と呼ばれていた。後にいう「三号雑誌」のことで、三合飲んだらつぶれる=三号目が出る頃に潰れてしまう(廃刊になる)という意味があった。

三号で潰れるのにはじつは裏があって、書き手や写真家、デザイナーなどに支払うギャラを踏み倒す狙いもあったようだ。「月末締めの翌々月払い」にしておいて雑誌が潰れた、出版社が潰れたといって逃げてしまう。戦後すぐは「どんなものでも本の形に綴じてあれば売れた」そうで、このあたりについては「ガロ」編集長(長井勝一著 ちくま文庫)という本にも面白い話がいろいろと書いてある。

『カストリ時代』には戦後すぐの東京で撮った写真のほか、林忠彦という写真家を有名にした文士、芸能人のポートレイトなども豊富に収められている。撮影した写真のうち、もっとも数多くプリントされたのは酒場「ルパン」で撮った太宰治の写真だそうだ。今回の「昭和が生んだ写真・怪物 時代を語る林忠彦の仕事」展のポスターにも、この写真が使われている。

この日、林忠彦は織田作之助を撮るためにルパンへ行ったのだが、織田作にポーズをとってもらっていると、むこうで「織田作ばっかり撮ってないで、おれの写真も撮れ」と絡んでくる酔客がいる。聞くと、それが今売り出し中の太宰治だということで最後のフラッシュバルブを使って1カットだけ撮影した、という話が紹介されている。それが代表作になるのだから、写真家という商売も何が起こるかわからない。なぜ織田作之助を撮りたいと思ったかという下りもなかなか凄まじいのだが、こういった思考回路は戦中戦後の焼跡派には、けっこう普通のことであったらしいとどこかで読んだ。

その後、『AMERICA 1955』『東海道の旅』『オヤジの背中』などの写真集、単行本も読んでみた。


(画像 via Amazon。この三冊に関してはまだ新刊を購入することができる)

2012年にはまだ渋谷にあった「たばこと塩の博物館」で「紫煙と文士たち 林忠彦写真展」と題した企画展もあった。展示されていた写真は80点ほどで入場料は一般・大学生100円。これは観に行った記憶がある。

https://www.jti.co.jp/Culture/museum/exhibition/2011/1201jan/index.html

その後しばらくしてこんな新書も手に入れてみた。朝日ソノラマ・現代カメラ新書から出ていた、その名もずばり『人物写真』という本。


(1978年初版)

晩年、脳出血で倒れてからは東海道など風景写真を中心に撮ったが、それ以前の林忠彦は「写真は人物に始まり、人物に終わる」が口癖だった。この本にもいい人物写真を撮るためにはどうしたらいいか、という具体的方法や自己流の工夫がいくつも書かれている。一番知りたい撮影データ、照明テクニックなどについては、ほとんどなにも書かれていないが(使用カメラ、フィルム、印画紙などについても記述がない)林忠彦流の心構えがわかって面白い。夜明けの新橋で若い女の子を連れた永井荷風を見かけたが、なんとカメラをもっていなかった、以来どんなときも1台はカメラを持ち歩くようにしている、というエピソードも写真家らしくていい。

写真展の話になかなかならないのは内容がちょっと残念だったからである。展示スペースが壁一面しかなく、点数も25点ほどとかなり限られていた。(その代わり企画展の前後半で展示替えがある。前半は戦後日本の風景と人物写真、後半は日本文化にまつわる風景写真。現在の展示は5月31日まで)

メセナ事業として実施するため入場無料にした。その心意気は買うが、せめて壁二面、50〜60点くらいは展示すべきだったのではないか。というわけで、あくまでもなにかのついでに観に行くことをお薦めしたい。個人的にはノートリミングのオリジナルが見られて、元の構図がわかったのが収穫だった。初期のプリントはほぼ正方形で、二眼レフで撮影したものと思われる。

会場には写真集、著書なども並べられていたが、この4月に出たばかりの『時代を語る 林忠彦の仕事(光村推古書院刊)』という本がなかなかよかった。今まで見たことのなかった戦中の写真、瀬戸内寂聴の特別インタビューなどが収録されている。この本によると初期の愛用カメラはローライコードだったそうで、カメラとストロボを構えたセルフポートレイトも収められている。


(初版はほとんど売れてしまったようで現状Amazonなどの在庫はないようだ)

今日の収穫は、この本の中身を確認できたことだったかもしれない。