『ローマ法王になる日まで』


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『ローマ法王になる日まで(原題:Chiamatemi Francesco / Call Me Francesco)』を観た。2013年、ベネディクト16世(悪者っぽいと言われて日本でもずいぶんネタになった)のあとを継いで第266代法王となったホルヘ・マリオ・ベルゴリオの半生を事実に基づいて描いた、というのが映画の惹句になっている。法王としての名前はフランチェスコ(英語ではフランシス)。アメリカ大陸から選ばれた初の法王だ。

映画は1960年、ベルゴリオが神父になることを決意するところから始まる。舞台はアルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。ペロンとエビータなきあとのアルゼンチンは政治的混乱の渦中にあり、70年代から80年代前半にかけては軍事独裁政権の支配下にあった。映画のなかでもベルゴリオの友人たちが次々と捕らえられ、命を奪われていく。このあたりの描写は重苦しく、なかなかつらい。

アルゼンチンとポルトガルの違いはあるが『リスボンに誘われて(原題:Night Train to Lisbon)』に描かれていたのもサラザール独裁政権下で弾圧される市民たちの姿だった。ただし、こちらの映画では現代と独裁時代とがフラッシュバックで切り替わる仕組みになっていて、そこに謎解きと淡い恋愛エピソードが差し挟まれる。映画としては、その分観やすくなっている。

ちなみにサラザールは68年に意識不明となり、2年後に意識が戻ったときにはすでに失脚していた。まわりの人間が偽の執務室、偽の新聞などを用意し、サラザールは自分が失脚したことを知らないまま70年に亡くなった。映画『グッバイ、レーニン!(GOOD BYE, LENIN!)』の基本プロットは、ここから来ているような気がする。

『善き人のためのソナタ(原題:The Lives of Others)』は旧東ドイツにおける監視社会の恐怖を描いていて、映画全体から発せられる閉塞感、濃紺のインクに浸されるような圧迫感は、さらに高い。この重さと暗さがあるからこそエンディングが素晴らしく感じられるのだが。

『ローマ法王に〜』で印象に残るのは、なんといっても若き日のベルゴリオを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナだろう。法王の若い頃はきっとこうだったに違いないと思わせるルックスで、終始抑えめな演技もいい。それと比べると2000年代のベルゴリオを演じたセルヒオ・エルナンデスは、とってつけた感が拭えない。もっともラストシーンでは就任式の映像(本物)が流れるので目立たないくらいでちょうどよかったのかもしれないが。

映画では教会内にも権力闘争、官僚主義、汚職がはびこっていることがそれとなく示されるが、ではなぜベルゴリオが取り立てられるようになったのか、ベネディクト16世の後任にどうやって選ばれたのかといった側面については、ほとんど語られない。そうなるとストーリーとしては「ベルゴリオの悲しみと成功の物語」となるほかなく、そこが個人的には物足りなかった。

ベルゴリオの人間的魅力、明るさといった部分が今ひとつ伝わってこなかったのも残念だった。人柄は顔や立ち振る舞いに出るもので、海外報道で使われている写真を見れば、これは一目瞭然である。

http://www.doyouexplore.com/francesco-a-superstar-pope-with-humble-beginnings/

キリスト教の信徒でもないのになぜこの映画を観たかというと、先日ヨーロッパへ行ったときにフランシス法王の行幸(法王の場合も行幸でいいのだろうか)に出くわしたからだ。場所は北イタリア、エミリアロマーニャの州都・ボローニャ。法王がくるということはボローニャ入りするまで知らなかった。市内交通はパレードとその警備のために完全に遮断。予定していたスケジュールはすべてキャンセルしなければならなかった。

一生に一度くらい法王のパレードを見ておくのもいいかもしれない、と思い日曜のパレード見物に行ったのだが、法王よりもむしろ詰めかけた市民の方が興味深かった。みんな法王の姿を見て本当にうれしい、こんな素晴らしいことはない、と感激している。タトゥーの入ったロッカー風の若い兄ちゃんまで喜んでいるのを見て、法王というのは一種の縁起物みたいなものなのかな、とふと思ったりした。