『二十世紀の怪物 帝国主義』


明治時代「漢文を素読すること」は教養人の必須条件であったらしい。そういった人たちが書く文章は当然のごとく漢文書き下しで、現代人には読んでも何のことやらさっぱりわからない、ということになってしまった。書き言葉は120年ほどでここまで変化し、その過程で教養は受け継がれることなく、いつしか忘れられてしまったのである。このギャップを超えるために、今やわれわれは「現代語訳」を必要とする。


(画像via Amazon)

光文社から出ている古典新訳文庫シリーズは、こういうときに役に立つ。シリーズの主旨宣言には「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というタイトルがつけられていて、日本だけでなく世界中で読み継がれてきた古典を新訳していくと書いてある。

最初に手に取ったのは、たしか中江兆民の『三酔人経綸問答』だった。初版は1887年だから日本の元号に直すと明治20年、19世紀末の本である。しかし、そこに書かれている「日本社会が抱える問題」は、そのまま現代社会が抱える問題にも当てはまってしまう。ということは、日本社会の基本構造は明治の頃からあまり変わっていないということなのだろうか。漢文書き下し文がとっくの昔に読まれなくなっているのに、この「変わらなさ」はいったいどうしたことか。

そう思って『一年有半』(写真上)も読んでみた。喉頭癌を宣告され余命一年半と知った中江兆民が、20世紀になったばかりの日本社会(政治から浄瑠璃に至るまで)について、思うところをつづった評論というかエッセイのような本である。本文よりも人名、当時の世相などについての解説の方が多いくらいだが、ここに書かれていることもまた、今の社会にそのまま当てはまってしまう。

続けて幸徳秋水著『二十世紀の怪物 帝国主義』(上)も読む。幸徳秋水は中江兆民の弟子にあたり、いわゆる大逆事件で処刑された社会主義者、無政府主義者だが、書かれていることは至極まっとうで、その目指すところは要するに自由民権主義であったことがよくわかる。その思想を「アカ」とか「主義者」と呼んで排除したということは、当時の日本社会がいかに全体主義的、権威主義的であったかということだろう。全体主義、権威主義にとって「主権在民」「自由平等」を叫ぶ輩は、社会を破壊する危険分子にほかならないからだ。

ちなみにこの本の前書きは内村鑑三が書いているのだが、この文章の総括力がハンパない。

政府には宇宙や世界の調和について考えることのできる哲学者が一人もいないのに、陸には十三師団の兵があって、武器はいたるところにまばゆく輝いている。民間には人民の鬱々とした気持ちを癒すことのできる詩人が一人もいないのに、海には二十六万トンの戦艦があって、平和な海上に大きな波しぶきを立てている。家庭関係は荒れ果てて最悪の状態に陥っている。(中略)こんな状態にもかかわらず、外国に対しては、日本は東海に浮かぶ桜の国、世界にも稀な礼儀正しく善良な国であるといって誇っている。帝国主義とは、本当はこのようなものである。

この文章など、ここ6年の日本社会に対する批評としても立派に通用するだろう。ちなみにこの文章は明治34(1901)年4月に書かれたものだ。幸徳秋水の論ずる軍国主義もまったく同じで、今日の新聞に載っていてもおかしくない。

甲国の国民はいう。「わたしは平和を願っているのです。でも、乙国の国民がわが国を侵攻しようという、身のほど知らずの望みをもっているので、どうしようもありませんよ」。乙国の国民もまたいう。「わたしは平和を願っているのです。でも、甲国の国民がわが国を侵攻しようという、身のほど知らずの望みをもっているので、どうしようもありませんよ」。世界各国、みな同じことを言わない国はない。なんというアホらしさ加減! (第三章 軍国主義を論ずる 軍備拡張の動機)

八千万の国家予算は、数年もしないうちに三倍になった。(中略)財政はますます乱れ、輸入はますます超過した。政府は増税につぐ増税で対応し、市場はますます行きづまった。風俗はますます退廃し、犯罪は日ごとに増加した。しかも社会改革の必要を説けば、嘲られ罵られ、教育を広く普及する必要を論ずれば冷笑されて、国力は日々消耗し、国民の命は日々厳しい状況に近づいている。もしこのような状況が激しい勢いで止むことなく数年も続けば、どうなるだろうか。

だから、わたしは断言する。「帝国主義という政策は、少数の人間の欲望のために、多数の人間の幸福と利益を奪うものだ。野蛮な感情のために、科学の進歩を邪魔するものだ。人類の自由と平等を絶滅させ、社会の正義と道徳を傷つけ、世界の文明を破壊するものだ」。(第四章 帝国主義を論ずる その結果)

120年経っても日本社会が抱える問題はまったく変わっていない。唯一の取り柄は中江兆民、幸徳秋水、内村鑑三など明治人の語った内容が、そのまま現代にも通用するということだろうか。要するにそれは70年前の敗戦を経てなお、日本が軍国主義と帝国主義へと向かおうとしている証左であるわけで、その「変わらなさ」が情けないことには、なんら変わりはないのだが。