なぜ沖縄のことが気になるのか


昔、沖縄がちょっとブームになったときも(ロングステイやリタイア後の移住先として人気だった)個人的にはまったくといっていいほど興味がなかった。関東圏でいうと、いわゆる湘南エリアに住む人たちのなかに一定数「ハワイ好き」な人たちがいるが、本土の人の沖縄好きはそんな「湘南人のハワイ好き」に似たところがあるのではないかと勝手に思っていた。ちなみに「湘南人のハワイ好き」は奥さんがフラ、旦那さんがウクレレを習い、趣味はサーフィンというのがその典型的な姿である。(←多分に偏見が混じっていることは認めます)

ハワイや沖縄の風俗・文化をファッションやライフスタイルとして借りてくること、その伝統をみずからのものであるように賛美することは、個人的にはかなりためらわれる。同じようなことはアメリカ東海岸の大学生ファッション(しかも50〜60年代の)を真似たトラッド、その他のアメリカ文化賛美者に対しても感じていたことだった。いくら憧れて同一化した気になっていても、現地に行けば我々は部外者のアジア人なのである。ときに差別を受けることもある。

90年代初頭、アメリカの国内便カウンターでぞんざいにあしらわれつつ、やっとの思いでチェックインなどしていた自分は「日本にいるアメリカ好きの人たちは、こういうのを知ってもアメリカ好きでいられるのだろうか」と、ふと思ったりした。


(那覇空港のゲートから見た夕景)

80年代、西武新宿駅の横にアメリカン・ブルバードという小さなモールがあった。いわゆるアメカジ・ファッションや雑貨などを扱っていたモールで現在はもうない。ある日、地下道を歩いているときにポスターを見かけた。アメリカン・ブルバードの宣伝であるらしい。キャッチコピーにこう書いてある。

「英語はキライだが、アメリカは好きだ。」

アメリカ英語という言語を話し、それによって形作られているのがアメリカという国なのに、その英語を排除してアメリカという国や文化だけを好きだと言う。ここでのアメリカとはアメリカ好き日本人の脳内にだけ存在する夢の国のようなもので、そこには人種差別も暴力もないのかもしれない。

と、言語化できるようになったのは仕事でアメリカに行くようになってからのことで、このときはまだそこまではわからなかった。当時20歳そこそこだった自分が感じたのは「なんじゃそりゃ」という違和感だけである。

閑話休題。

前にも書いたが沖縄地方を初めて訪れたのは2011年の石垣島で、このときは沖縄本島には立ち寄らなかった。最初に沖縄本島を見て歩いたのは2015年11月のことで、仕事がてら数日早めに現地入りして、ついでにあちこち見てまわった。


(県庁前からホテルまで歩いて行く途中で最初に撮った写真)

このときもまったく予備知識がなかったので出かける前に書籍を一冊買って読み、那覇空港に着いてから道路地図を一冊買った。書籍は『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること(矢部宏治著 書籍情報社刊)』といった。


(ちなみに6/5現在、Amazonで沖縄に関する社会・政治本カテゴリーでトップに出てくるのはケント・ギルバートの本である)

『本土の人間は知らないが〜』は沖縄ガイドではあるが一般的な観光ガイドではない。内容は沖縄の歴史、基地問題、日米安保、日米地位協定などが中心となっている。矢部さんの書く文章はときに度を越しているように感じることもあるが、沖縄の人たちが直面してきた歴史、目の前の現実を考えれば、このような義憤を感じるのは当然のことだ。

沖縄に関して本土の人間が知らないことは多い。薩摩藩による支配、過酷な人頭税、琉球処分。琉球・沖縄差別、国内唯一の地上戦がいつ始まり、どのように推移し、いつ終わったか。そのとき日本軍が何をしたか。敗戦後の米国統治、日米安保、日米地位協定、本土復帰。瀬長亀次郎を始めとする政治家たちのたたかい。復帰後も残る基地問題。米軍兵士による犯罪、高江、そして辺野古。本土に暮らす私たちは、こうしたすべてにあまりにも無関心であると思う。

自分が気になるのは観光地としての沖縄ではなく、日米安保や日米地位協定の歪みが立ち現れる断面、不公正と日々たたかいながらも明るく生きる人たち(もちろんそうした人だけでないことは承知しているけれど)が暮らす場所、雑然とした市場や街並みが醸し出す独特の空気感、そんな沖縄なのだと思う。もしかしたら深層心理に「沖縄に暮らし、数多の矛盾と向き合ってみたい」という願望があるのかもしれない。