『この世界の片隅に』


Warning: preg_match(): Unknown modifier '.' in /home/hiromiura/bookmoviemusic.com/public_html/wp-includes/class-wp-embed.php on line 156

Warning: preg_match(): Unknown modifier '.' in /home/hiromiura/bookmoviemusic.com/public_html/wp-includes/class-wp-embed.php on line 156

劇場に足を運ぶ機会は一時期よりもだいぶ減ってしまったが、NetflixやAmazonプライムビデオの登場で映画を観る本数そのものは増えた(並行してDVDレンタルも利用)。年間どれくらい観ているのか、そのうちカウントしようと思いつつ、そういうことはいつまで経ってもできそうにない。

むろん年ごとのランキングをつくったりもしないのだが、2016年のベスト映画はと問われれば、これは簡単に答えられる。『この世界の片隅に』があったからだ。2017年になっても劇場公開は続いているので、2016-2017年の、とした方がより正確かもしれない。

ネット上では公開前からかなり話題になっていて、公開されてからもほぼ絶賛の嵐。それと同時に地味な映画だとか、細かな部分にリアリティがあるとか、お年寄り受けがいいとか、そういった情報も入ってきた。これは観に行くべきだなあと思いつつ、ようやく観に行けたのは真珠湾攻撃から76年目の12月8日。場所はテアトル新宿である。ネットで見かけた以外の予備知識はほぼゼロで、予告編すら観ていなかった。

この映画、壮絶な戦闘シーンがあるわけでもなく、大恋愛ドラマが繰り広げられるわけでもない。その代わり市井の人たちの暮らしを丁寧に描写し、家族みんなでごはんを食べる様子が何度も出てくる。世の中には登場人物が一度も食事をしない映画もあるが(アクション映画などに多い)、この映画はそれとは正反対のベクトルでつくられている。

描かれているのは昭和8年から21年までの広島、呉。15年戦争が始まったのが昭和6年だから劇中で描かれるのは、ほとんどが戦時下の日本ということになる。しかしこの映画はイデオロギーを語らない。戦争の悲惨さは描くけれども、それは日常生活のなかに入り込んできた「悲惨さ」が、自然とフレームインしてきたという体であって、凄惨なシーンはほとんど描かれない。あざとい演出も無理矢理な盛り上げもない。あるのは今の我々が暮らしているのと同じ「日常」だけ(現在の日常が平穏なものかと言われれば、かなり大きな疑問符がつくけれども)。

代わりに人と人との関わり合い、機微といったものに焦点が当てられている。ささやかな暮らし。そんな人たちの頭上にも敵機は飛び、照明弾も焼夷弾も爆弾も落ちてくる。食糧は手に入らず、しまいには原爆だって落とされる。国が始めた戦争という現実からはどうやったって逃れられない。

ぼくらの生きる現実世界も当時とあまり変わらない。嫌韓嫌中本が書店に平積みされ、街では排外主義の人たちが主催するデモがあり、格差はどんどん広がっていく。権力の中枢に近ければ犯罪を犯しても犯罪ではないということにできる、そういう事実もぼくらはつい最近目にした。それも何度も。映画の冒頭で描かれる昭和8年の日本と今の日本、どちらがまともなのだろうと考えると、よくわからなくなってくる。

よくわからないままに年明けシネマシティ(立川)で再見。4月には沖縄・那覇の桜坂劇場でも観た。

観客席にはお年寄りの姿もある。しかも場所は国内で唯一、地上戦の舞台となった沖縄。呉工廠爆撃のシーンでは大音響で爆発音が響くなか、沖縄戦のことを思わずにはいられなかった。そうでなくともこの映画、兵器の描写と音がやたらリアルなんである。

9月15日にはDVD/ブルーレイが発売になった。さっそく観てみると、劇場で観たときとどこか雰囲気が違う。なんというか色味がすっきりしすぎていてCGで描いたアニメーションのように見えるのだ。これはテレビの色温度設定によるものらしい。この件、Twitter上で片淵監督が説明していたので画面設定を変更したら、かなり上映時の画質に近くなった。それにしても片淵監督のTwitter検索能力は異常。

繰り返し観ていると、いろいろ新しい発見もある。たとえばすずさんの格好を冴えんと叱り飛ばした小姑の径子さん。着物を直して今すぐ服つくれ、とすずさんを怒鳴るのだが、その後は配給所のお使いも晩ごはんの支度も「あたしがやる」と言って、すずさんを炊事場に立たせない(原作にはない、お米を研いだり夕食をつくったりするシーンも追加されている)。

手の遅いすずさんを見て、せっかちな径子さんが仕事を取り上げたようにも見えるのだが、そのおかげで、すずさんは着物を直すことができた。口が悪いのと人当たりがきついのとでわかりにくいが、これはきっと径子さんなりの気遣いだったのだろう。最初の里帰りや純綿をモンペに直してあげたときの様子なども見るにつけ、この人いい人だなあと思ってしまうのである(性格きついけど)。

(追記:オーディオコメンタリーでは「径子さん実家に帰ってくるつもり満々で、家事を率先してやったのはそのアピールなのでは」というコメントがあったが、あの人の性格からすると充分あり得る話。むしろそっちが最初の動機だったかもしれない。このように幾通りもの読み方ができるのも、この映画と、こうの作品の魅力のひとつであると思う)

もうひとつの発見は、隣保館ですずさんが三つ編みを切り落とすシーン。裁ちばさみらしき鋏を左手にもっている。

以前、右手首を骨折したときに知ったのだが、右利き用の鋏を左手で使うのはものすごく難しい。薄紙はもちろん、厚紙だってまともに切ることができないのだ。もしかしたら左利き用なのかなと思ったりもしたのだが、原作、映画ともに描かれているのは右利き用だった(原作の方は映画よりもやや小さい鋏のように見える)。このシーン、自分で髪をばっさり切らないと絵にならないのだが、右利きのすずさんは、いつ左手で鋏を使う練習をしたのだろうか。

試しに家にある裁ちばさみで新聞紙の束を切ってみたけれど、紙がへにゃ、と挟まっただけだった。あんなに練習したのにねえ。