始まりはヴェネツィアの古書店から


『モンテレッジォ 小さな村の 旅する本屋の物語』(内田洋子著 方丈社刊 2018年)という本を手に取ってパラパラとページをめくっていたら、どこかで見たような古書店が載っていた。

先に本の概要を説明しておくと、ヴェネツィアにある古書店の店主家族がトスカーナ州のモンテレッジォ出身で、彼の地の男たちは古来、本を行商して歩いていたという。そのことを知った著者がモンテレッジォを訪ねる、というのがおおよその筋立てである。

ストーリーのきかっけとなる古書店が本に載っている店そのものだとすると、ここには何年か前行ったことがある。こんな感じのところである。

 

著者がサン・マルコ広場で用事を済ませて駅へと急いでいると、歩いていく先にショーウィンドウがあるのに気づく。いつも使っている抜け道なのに、今まで気がつかなかった。どんなところなのだろう。これが著者と、この古書店の出会いだったという。しかし、これはちょっと不自然だ。

店の前は細い路地で、店の前を抜けて少し広い通りに出る。そして「少し広い通り」から見える壁には、かなり大きなショーウィンドウがしつらえてある。路地の奥にある店へ客を誘導するためのものだろう。自分も最初このショーウィンドウに引き寄せられて、そのあと古書店に入った。

 

店の前の路地をどちらの方向から通ったとしても、この巨大なショーウィンドウの前は必ず通る。本に興味があり、なおかつ何度も通っているのに気づかないということは、まずあり得ない。夢のあるストーリーを書くためには、ある程度の演出は必要ということなのだろうか。

店内の本は、どれも一点ものだという記述もあるが、実際に見た限りでは複数冊の在庫をまとめて引き取ってきた、という本もけっこうあった。なぜそんなことを覚えているかというと、そのうちの一冊を買って帰ってきたからである。誤解のないように書いておくと、この店自体は本の整理も行き届いていて、かなりよい古書店であると思う。

『501人の偉大な作家たち』というイタリア語の本で、総ページ数は600ページあまり。なぜこの本が目にとまったかというと、前年の暮れにサミュエル・ベケットの伝記を読んでいたからだ。表紙に使われていたのが同じ写真だった。


(画像 via Amazon『サミュエル・ベケット ──ある伝記』ディアドリィ・ベア著 2009年)

この自伝はベケット非公認だが、彼の生い立ち、実生活をかなり細部まで描いている。たしか本人にも取材しているはずだが、ベケットはベアがどんな本を書こうとしているか知った上で、あえて非公認のまま書かせたのではないか、という気がした。

二段組で900ページ弱。力作だが、ベケットの人生が陰鬱きわまるものなので、その大部分は暗く、読んでいる間じゅう砂を噛むような思いがするという、非常に困った本だった。やれやれと思って本を閉じると「カモメのような」と言われたベケットの目がこっちを見つめているのである。

数年後にアイルランドへ行ったのは、この伝記を読んだことが間接的なきっかけになったような気がする。アイルランドの首都、ダブリンは有名人の銅像がやたらと建っているところだが、自分が行ったときにはベケットの銅像はないようだった(その代わりベケットの名前がついた橋はある)。裏通りを歩いていると、ベケットを描いたグラフィティがあった。

 

ダブリンには「ライターズ・ミュージアム」という作家の身の回り品を集めた美術館があり、そこにはベケット愛用の電話が展示してある。発信専用に改造してあって、電話がかかってきてもベルが鳴らないという代物だ。なるほど、ベケットらしいと感心した。

一冊の本、書店との出会いがモンテレッジォへとつながることもあれば、ダブリンにつながることもある。個人的な旅というのは、そういうものなのかもしれない。