パブリック・イメージ優先モード


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なぜかこのところShalamar(シャラマー)の「The Second Time Around」をよく聴いている。とくにこれといった理由なし。曲もいいけれどもジョディ・ワトリーのダンス観たさが半分くらい混じっているかもしれない。


(シャラマーはソウルトレイン出身のグループなので、ダンス上手いのは当たり前という話もある)

ちなみにイントロのSE聴いてるとアニタ・ワードの「Ring My Bell」をなんとなく思い出す。


(同じくらいのテンポかと思ったのだが、こっちの方が速かった)

リアルタイムで聴いたジョディ・ワトリーのヒット曲は87年の「Looking For A New Love」だったような気がする。ファッションはマドンナっぽく、ダンサーというよりシンガーという印象の方が強かった。いい曲だなと思うけれども80年代後半的なシンセサイザー中心の音作りで、今の自分にとっては何度も繰り返して聴きたい曲調ではない。


(イントロのCat Callは今なら女性差別的であると批判されるのかもしれない)

この時期のジェーン・チャイルドやエイミー・グラントなども同じ理由で何度も聴き返すのはちょっとつらいもんがある。(マイケル・ジャクソンもBadはダメで、今聴くなら断然Off The Wallになってしまう)


(にしてもエイミー・グラントは歌上手い)

話は変わるが、とあるゲージツ家(横尾忠則だったような気もするが、岡本太郎だったかもしれない)が「他人から見たイメージの方が自分の自意識よりも正しいのではないか。たとえば他人から見て、この人はこういう仕事をしていそう、というイメージがわくようなら、あなたはその職業についた方がいいのだ」みたいなことを書いていて、うーん、そういう考え方もあるかと、ちょっと感心したことがある。セルフ・イメージとパブリック・イメージにズレがあった場合、パブリック・イメージを優先した方がいろいろとしっくりくる、自意識なんて意味ないのだよ、というわけである。

自分の場合、他人が抱くイメージは自分の実像とかけ離れていることが多かった。「私服でTシャツは着ないタイプでしょう」と言われたこともあるし(20代前半、会社勤務のとき。じつは普段はTシャツばかりで襟のついたシャツは一枚も持っていなかった)、「革靴が好きな人というイメージがある」と言われたこともある。(30代後半。やはり革靴は一足も持っておらず、スニーカーばかり履いている時期だった)

人のイメージはあてにならんなあ、と思ったのだが、その後、前述の説に従って服は襟付きのシャツ、靴も大部分を革靴にしてみた。他人の抱くイメージにより近づいたはずだが、本人的には何が変わったということもない。

セルフ・イメージとパブリック・イメージのズレは、今でもけっこうあるようで、知人から聞いた話を総合すると、ぼくは「プログレッシブ・ロックが好きそう」で「ファッションはトラッドよりのカジュアルを好み」、「クルマはボルボに乗っていそうなイメージ」があるのだという。(実際はプログレッシブ・ロックは苦手で最近よく聴いているのは70年代のソウル、ディスコ、ファンク系であり、トラッドの服を着たことはなく、ボルボのステーションワゴンにも縁がない)

なんというかコンサバな趣味の持ち主で、形而上的な思考をもてあそび、安定志向、そんな人物像であるようなのだ。ある友人にその話をしたら「そういう勘違いをする人がいるのもわかる気がするが、中身とあまりに違いすぎておかしい」と、涙を流して笑われた。

そういう振りをするのも悪くはないのだが、果たしてそこまでする必要があるのか、ちょっと悩むところなのである。