「名もなき人たち」へのシンパシー(その2)
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『Searching for Sugar Man(邦題:シュガーマン 奇跡に愛された男)』という映画、アメリカ公開は2012年(1月のサンダンス映画祭が初公開)だが、日本での封切りは2013年3月だった。公開からそれほど間をおかずに映画館まで観にいった記憶がある。その後、メイキング・ドキュメントなどが収録された二枚組のDVDも手に入れた。そのメイキングのなかで監督のMalik Bendjelloul(マリク・ベンジェルール)が、どのようにこの題材と出会ったか、映画が完成するまでにどんな苦労があったかについて語っている。
(スペイン語字幕版。YouTubeの自動生成で英語字幕も出るが、残念ながら日本語字幕はなし)
邦題には奇跡に愛された男、というサブタイトルがつけられているが、監督のマリク自身は「この映画はIntegrityをどう保って生きていくかについての映画なんだ」と語っている。インテグリティは日本語版DVDでは「気高さ」と訳されていたが、ほかにも誠実さ、品格などの意味があることばだ。
(画像via Amazon そんなに高くないので作品の背景を知りたい方は二枚組DVDを手に入れることをお薦めします)
未見の方のために簡単に説明すると、この映画の主人公ロドリゲスは1960年代末にサイケデリック・ソウル・レーベルからデビューしたシンガー。場末の薄暗い店で彼を「発見」したのはギタリストのデニス・コフィらで、1970年に「COLD FACT」71年に「COMING FROM REALITY」という2枚のアルバムをリリースした。ロドリゲスは元々ギター弾き語りの人だが、アルバムではバンドが演奏してフォーク・ロックのようなスタイルになっている。レコーディングでイギリスにも行ったらしいのだが、まったく売れなかった。
(映画予告編の別バージョン)
ところが70年代、南アフリカの反アパルトヘイト・ムーブメントでロドリゲスの曲は運動のテーマソングになっていく(アメリカ公民権運動における「風に吹かれて」みたいな感じだったのだろう)。「COLD FACT」は何百万枚も売れた。ところが誰もが曲を知っているのにロドリゲスというアーティストが誰なのか、南アフリカの若者たちはまったく知らなかった。謎は謎を呼び、いつしか「ロドリゲスは自殺した」という噂が一人歩きを始める。「ステージを降りて拳銃で自殺した」「ステージの上でガソリンをかぶってマッチで火をつけた」など、さまざまなバリエーションがあったそうだ。
その後、さまざまな経緯を経てインターネット上でロドリゲス探しが始まる。しばらくしてある女性からコンタクトがあり、ロドリゲスは健在でいまもデトロイトに暮らしているということがわかる。女性はロドリゲスの娘だった。彼は建築解体現場などで働いており「とても控えめな暮らしをしている」という。
マリクはデトロイトへ飛び、ロドリゲスへのインタビューを試みる。信頼関係を築いてインタビューに応じてもらえるようになるまで、かなりの時間がかかったそうだ。その後ストーリーは急展開し、南アフリカでのコンサートが実現する。35年間、ひたすらに現場仕事をしてきたロドリゲスは南アフリカで熱狂的な大観衆に迎えられた。これが映画のあらましだ。「事実は小説よりも奇なり」を地でいくような話で、ドキュメンタリーを作る人なら「こんなストーリーが手に入ったら言うことない」と羨ましく思うだろう。
このストーリーにはハッピーだけでは語れない面がいくつかあって、まずひとつめはアルバムの印税がロドリゲスのもとにまったく届いていないこと(これは映画のなかでも追求するシーンがあるが、印税の送金先は不明のままだった)。ふたつめはコンサートなどで入った収入の大部分をロドリゲスが親類や友人たちへ贈ってしまったことだ。ロドリゲスの暮らしは今も貧しいままなのである。これこそロドリゲスのインテグリティだという気がするが、もちろん誰にでもできることではない。
映画の制作にも並大抵ではない苦労とドラマがあった。監督のマリクはこの作品をつくるのに3年以上を費やしたのだが(メイキングのなかではマリクを含む関係者が1000日、という言い方をしている)この間定期的な収入は1セントもなかったという。撮影は当初昔の8㎜カメラ、スーパー8なども使ったが、フィルム代がなくなり最後にはiPhoneのスーパー8アプリを使ったりもした。苦労して撮影をあらかた終えたものの、今度はスポンサーが降りてしまい制作は暗礁に乗り上げてしまう。自分の生活を立て直すため、マリクはこの映画の制作を一時諦めなければならなかった。
2011年の3年前、2009年といえばリーマン・ショック(2008年9月)の翌年。そこから3年間かけて撮った作品は編集をするための資金もなく、眠ったままとなった。再現シーンではアニメーションも使いたかったが、そのための予算もない。どうあがいてもないのだから、自分でなんとかするしかない。マリクはデジタル編集を独学し、アニメーションも自分の手で描いた。食べ物にも事欠くような状況だったから紙に鉛筆でドローイングするというもっとも低予算な方法しか使えない。それでも何もしないよりはましだと思った。
ある日、マリクは意を決して映画「Man on Wire(邦題:マン・オン・ワイヤー)」のプロデューサー、サイモン・チンの事務所に電話をする。「あの映画を作った人ならロドリゲスのストーリーをわかってくれると思った」というのがその理由で、電話に出た女性に「サイモン・チンに3分だけでいいから話を聞いてほしい。マン・オン・ワイヤーと同じくらい素晴らしいストーリーがあるんです」と必死に頼みこんだという。
(Man on Wire予告編)
ラフカット版を観たサイモン・チンは映画への出資を決め、完成した映画はサンダンス映画祭、アカデミー賞、英国アカデミー賞など、ドキュメンタリー部門で数々の賞を受賞した。この過程そのものも映画になっておかしくないくらいドラマティックだ。ロドリゲス同様、マリクも厳しい現実に直面しながらインテグリティをなんとかして保ち、自分の信じる作品を紡ぎ続けていたのだ。相当に苦しい1000日間だったと思う。(このあたり片渕須直監督『この世界の片隅に』の制作にも似た部分がある)
マリク・ベンジェルールは1977年スウェーデン生まれ。子どもの頃から子役として活躍し、のちに映画監督、ジャーナリストとなった。『シュガーマン』公開からわずか2年後の2014年5月13日、自殺というかたちで36年の生涯を閉じている。アンソニー・ローレンスの本「Elephant Whisperer」の映像化プロジェクトが進行中だった。親族によるとマリクはうつ病で苦しんでいたという。
「ロドリゲスはどんな型やルールにもはまりたくなかった。彼は言いたいことを言い、人々が彼の音楽と精神を受け入れてくれるのを待った。ここから学ぶことはたくさんあると思う。夢を妥協したほうが成功やお金が手に入るかもしれない。でも、そうじゃないんだ」
「アーティストにとって本当に大切なものは誠実さであり、威厳であり、インスピレーションであり、情熱なんだ。どんなことをしても、これらを守り抜かなければならないんだ」
(マリク・ベンジェルールへのインタビューより)