街から風景と思い出が消えていく


映画『ヨコハマメリー』つながりで『横濱物語』という本を読んだ。著者名には、語り 松葉好市 聞き書き 小田豊二とある。

 

松葉さんが語り、それを聞き書きして小田さんという書き手が書いたという意味で、2人で交わした会話のうち松葉さんのことばだけが収録されている。街ゆく人を見たときのなにげない反応や、なじみの店でのやりとりなど、どうでもいいような会話も収録されているが、それが語り手の人柄や街の雰囲気を感じさせてとてもいい。

編集者によっては「無駄なやりとりは削り、冗長な部分は地の文で説明するなどして簡潔にまとめたほうがいい」といって赤を入れる人がいるかもしれない。だが戦前、戦後のヨコハマを不良や愚連隊の視点から語るというこの本の内容を考えると、このノリが失われてしまうのはいかにも惜しい。ひとり語りの部分も語ったままがすべて収録されているわけではなく、適宜カットしたり前後を入れ替えたりしているはずだ。

ところで書店に並んでいる自伝、回顧録のたぐいは、ほとんどが誰かの代筆によるものだ。ごくまれに自分で書く人もいるが、文章を書くというのは基本的に時間がかかるもので、慣れていない人の場合、書き直し、リライト、校正などにそれなりの手間がかかる。著名人、企業の社長などの場合、それだけの時間を割いてしまっては本業に差し支えるし、コストパフォーマンスだって悪すぎる。というわけでいわゆる「ゴースト」が書くことになるのである。

ドキュメンタリーの場合は取材を繰り返し、ある程度ネタが揃ったところで書きたいテーマに合わせて本文を書いていくというケースが多い。インタビューや評伝もののほとんどはこのやり方で書かれていて、地の文に登場人物の台詞がカッコ付きで入るというのが定番のパターンだ。手近にあった本のなかでは『サービスの達人たち(野地 秩嘉著)』など、ひとつの典型だといえる。取材も書きぶりも丁寧でエピソードをまとめる手際のよさなど、全体にわたって安定していてうまい。同じ横浜つながりということでいうと、ホテルニューグランドのドアマンの話など印象に残っている。(どの本で読んだかは忘れてしまった)

『横濱物語』のような本を『サービスの達人たち』に比べて完成度が低い、不良の自慢話がだらだら続くだけじゃないか、と批判するのは簡単だ。しかし地の文が増え、著者の主観に沿ってストーリーが展開されるようになると、とたんに語り手の体温、体臭のようなものは薄まってしまう。読みやすくはあるし、安定しているので多くの編集者はこちらを好むと思われるが、それで失われてしまうものも多い。たとえば聞き手の小田さんが不良の条件ってなんでしょうね、と訊くくだり。(ちなみに不良の条件ってなんでしょうね、という質問は本文には書かれない)

えっ、不良の条件ですか。そうですねえ、なんでしょうか。
基本的には、将来の夢を持たないことですか。その日その日をカッコよく暮らすことでしょう。ええ、私は若い頃から、そう思って生きてきました。

(略)もちろん、毎日毎日カッコよく楽しく暮らすなんて、そんな生活をしていたら、人生は安定しませんよ。でも、綱渡りの人生だからこそ、いまを生きている充実感が味わえたんだと思いますね。
とくに私とつきあいのあった大学生の不良たちは、実にカッコいい生き方をしていましたよ。もう、彼らは私と同じで、わざと最初から将来の安定した生き方を捨ててましたから。

なにしろ、当時の大学生ですから、真面目に勉強さえしていればエリートですよ。大学に行くヤツは少ない時代でしたからね。いわば、地元の星ですよ。しかし、彼らには一様に、そういう期待されたレールの上を走ることへの反発があったんでしょうね。

さらに話はつづく。

正直言えば、不良だった私らは、いまでもドスを持ってますよ。いやいや、本物のドスではありません。心のなかに鋭い刃のようなものを持って生きてるってことです。

(略)あの当時の私らは、自分で自分が見えていたっていう気がします。まともに生きることをやめて、世の中を斜に構えて生きている自分を、冷ややかに見ているもうひとりの自分がいたんですね。
「これでいいんだよな」
「好きなようにやればいいさ」
なんて、誰もいないところで自問自答したりしてね。
「死ぬぞ、このままじゃ」
「それもいいさ」
とかね。

あるいは湘南の太陽族について。

あいつらも、かなりとっぽいんですよ。だから、よく、ダンスパーティーなんかで大学生同士がぶつかったもんです。なにしろ、お互いに不良だって、ひと目でわかりましたから。心の中身はいっしょでしたからね。ただ彼らはドスを呑んでない分、さわやかだったかな。

横濱を地元とし、裏の世界もさんざん見てきた松葉さんは、いろんなことを知っている。ちょっとした郷土史家みたいなものだが、郷土史家と違っているのは自分がそのなかで生きていたということだろう。悪いことばかりやってきた人の昔話を聞いて、それが面白いというのはある意味当たり前のことだが、本のなかでは武勇伝のほかに、こんなことも語られる。

元町はなぜ元町と呼ばれるようになったか。
不二家や有隣堂の歴史。
横浜大空襲の話。
伊勢佐木町、野毛、真金町遊郭。
米軍キャンプでの仕事と物資の横流し。
愚連隊とプロのちがい。
遊郭の娼妓、パンパン、キャバレーの女たち。
美空ひばりと「ひばり御殿」。
ダンスホールとナイトクラブ。
伝説の支配人、ジョージ浜中。
「人柱お三」とお三の宮。

公式な歴史本は必要だし、プロの書き手がまとめたドキュメンタリー作品もいい。しかし語り手の個性を活かしたこういう記録もあっていいだろう。最終的に残っていくのは前者なのだろうが、当時の雰囲気、生きた横濱を感じさせるのは断然後者の方だと思うからだ。と同時に50年前、100年前のできごと、歴史、人物について、ぼくらはなにを知っているんだろうかと不安にもなってくる。現在当たり前に読んでいるその記録は、実像とはかけ離れた、ただの「公式文書」かもしれない。

街にしても30〜50年前の風景は、ほとんど残っていない。昔よく通った店が駐車場になってしまい「たしかこのあたりがステージだった」などと思い出を語りあうシーンが『ヨコハマメリー』にも出てくる。その意味で日本の街というのは、どこを歩いてもかなしい。よすがになるようなものは何もなく、どこへ行ってもあるのは思い出だけ。そしてその思い出も関係者が亡くなってしまえば、なかったのと同じことになる。ある意味とても日本的だ。

昔、東南アジアで会った日本人から黎明期の暴走族について詳しく聞かせてもらったことがある。60年代後半から70年代前半、東京近郊における暴走族はどんな組織構成になっていて、どんなことをしていたか。メンバーにはどんな人物がいたか。インターネット時代になってホームページで呼びかけたところ、あっという間にほとんどの主要メンバーの消息がわかったこと。どの話も非常に面白かった。その人は当時、都内のとある支部で幹部をしていたので、こうしたエピソードをすべて自分の体験として知っていたのだ。

観光名所にもなっている高層ビルのカフェで1時間くらいにわたってこの話を雑談として聞き、ぼくは文字どおり腹を抱えて笑い、同時に非常に感心した。当時の彼らの姿は写真家が撮影して写真集にもなったし、メンバーが所蔵していた当時の写真を集めて私家版のDVDもつくられた。本当は市販したいのだが、映っているメンバーのなかに大企業の社長、重役や芸能界で活躍している人たちが数多くいて、どう考えても不可能なんだよね、とのことであった。こういうのも公式の歴史には出てこない。きっと30年後には誰も知らない話になってしまうのだろう。