スーザン・ソンタグ 『良心の領界』


Warning: preg_match(): Unknown modifier '.' in /home/hiromiura/bookmoviemusic.com/public_html/wp-includes/class-wp-embed.php on line 156

TwitterのTLを眺めていたらスーザン・ソンタグの「若い読者へのアドバイス……」について書いている人がいて、あらためて読み直したくなった。『良心の領界』(NTT出版2004年刊)の序文として収められている、わずか4ページの文章。これがとてもいい。

本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみにこれは映画についても言えることです)。

動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。決して旅をするのをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

序文のタイトルのあとには(これは、ずっと自分自身に言い聞かせているアドバイスでもある)ということばが添えられている。この小文は若い人へのアドバイスであると同時にスーザン・ソンタグ自身へ向けられた箴言でもあるのだ。

ベースにあるのは教養人としての自負、容易に堕落してしまう人間(自分自身を含む)に対する懐疑心と猜疑心、自分が正しいと思うもの、価値があると思うものに身を捧げることの尊さを信じる態度、などであるように思える。ときにエリート主義に警鐘を鳴らしながらも、自らはまごうことなき選良であることを自覚しているという意味において、近代と現代が混ざり合った人だったのではないか、と思ったりもするのだが、実際に会ったことがないので、よくわからない。

『良心の領界』という本には2002年4月におこなわれたシンポジウム「この時代に想う──共感と相克」の様子が収められている。パネリストは浅田彰、磯崎新、姜尚中、木幡和枝、田中康夫といった顔ぶれで、読んでいくとソンタグの鋼のような厳密性(曖昧さや紋切り型の安易な表現を許さない様子)がよく伝わってくる。一般には作家、批評家という肩書きで呼ばれることが多いようだが、語っている内容はほとんど哲学に近い。

個人的にはまとまった評論や作品よりも、短いフレーズにはっとさせられることが多い。
『良心の領界』からいくつか拾ってみる。

自分の同類〈トライブ〉と歩調を合わせない。彼らよりも先へ行って、思考としてはより広がりがあるけれど、数の上ではより小さな世界へ踏み込む。

抵抗行動をしても不正を食い止める見通しは暗い。とはいっても、真摯に深く考えた場合に、自分の共同体にとって最善の利益をもたらすとの確信があれば、そのために行動すべきです。それを免れることはできません。

文学は自由そのものでした。とくに、読書や内向的な生活の価値が呵責なく脅かされるような時代には、文学は、まさに自由にほかなりません。

そういえばつい先日、読書時間がゼロであると答えた大学生が調査開始以来、始めて半数以上に達したという記事を目にした。(ちなみにアメリカの大学生が4年間に読む本の平均値は400冊であるという)ソンタグが生きていたら、なんと言っただろうか。

スーザン・ソンタグは80年代末からアニー・リボヴィッツをパートナーとしていた。リボヴィッツはロック・ミュージシャンや俳優、セレブリティなどを撮影することで知られる写真家で、2006年には「Annie Leibovitz: Life Through a Lens(邦題:アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生)」というドキュメンタリー映画が公開されている。スーザン・ソンタグに関するエピソードも、もちろん出てくる。


(余談だがリボヴィッツの写真は大規模セットで撮るようになる前、とくにローリング・ストーン誌で写真を撮っていた頃のものが好きだ。ストーンズのツアーに同行した際の写真など、とくにすばらしい。こんなタイミング、フレーミングで撮れたら言うことない、というカットが次々出てくる)

スーザン・ソンタグはスタイルの人である、という評論を以前どこかで読んだ。端的で的確な表現だが、ぼくはさらにスーザン・ソンタグはアティチュードの人、意志の人だったと言い換えてみたい。この場合の意志はインテント(Intent)とでも言えばいいのだろうか。そういえば「若い読者へのアドバイス……」にも心の傾注、ということばが出てくるが、その横に振られていたルビは〈アテンション=attention〉だった。

意志と書くと平凡に感じられるかもしれないが、ソンタグの意志と態度の表明はとてつもなく強靱で、ほとんどスターウォーズに出てくるフォース〈Force〉みたいなものである。それは知性と理性、そして歴史に学ぶ態度から生まれてきたものだ。(そういえば、昔はフォース=理力と訳されていましたね)しかし、それらを学んだ人すべてがソンタグのようになるわけではない。彼女の自負と使命感は、そんなところからもきていたのだろうか。

スーザン・ソンタグは2004年末に急性骨髄性白血病で亡くなり、モンパルナス(パリ)の共同墓地に埋葬されている。