オーストリアとカンガルー
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旅先でオーストリアの人たちと一緒になり、2回ほど夕食をともにした。オーストリアとオーストラリアを混同する人は多いと思われるが、これは世界共通であるようで「No Kangaroos in Austria(オーストリアにカンガルーはいない)」というジョークがある。ポストカードやTシャツも売られている。
オーストリアはヨーロッパの国でオーストラリアはダウンアンダー。ではオーストリアとドイツの違いってなに、と訊かれるとこれもまた部外者にはわかりにくい。現地に行ってみればなんとなく違いがつかめるのかもしれないが、あいにくオーストリアには行ったことがない。歴史を考えるとポーランド、ハンガリー、チェコなどの方が共通点が多いのかなと思ったりもするが、そのためには同時期にあちこち旅してみる必要がありそうだ。
Youtubeで調べてみたらオーストリア出身の俳優、クリストフ・ヴァルツが説明している動画があった。
ヴァルツによるとドイツとオーストリアは「戦艦とワルツくらい違う」とのことである。ナイトショーだからということもあるが全編にわたってユーモラスで面白い。
という一連の流れがあってオーストリアの歴史についてちょっとお勉強してみた。図書館に行って借りたのは『図説 オーストリアの歴史(河出書房新社)』。副読本として『地球の歩き方 ウィーンとオーストリア 2017〜2018(ダイヤモンド社/ダイヤモンド・ビッグ社)』も斜め読みする。
オーストリアというとすぐに思い浮かぶのはハプスブルク家のオーストリア帝国だが、その後の歴史はなかなか複雑だ。ウイーンの1848年革命によって弱体化したオーストリア帝国はハンガリーと結び「オーストリア=ハンガリー二重帝国」という苦しまぎれの体制を確立。ほぼときを同じくして反ユダヤ主義とナショナリズムの台頭が始まる。だがこの二重帝国体制は第一次世界大戦の敗戦によって崩壊した。こうして1918年、650年におよぶハプスブルク家支配が終わり、オーストリア第一共和国が誕生する。
オーストリア第一共和国は「(押しつけられた)誰も望まなかった国」と形容された。オーストリアのドイツ系国民はドイツとの合邦(アンシュルス)を望んだがパリ講和会議で合邦禁止が宣言され、オーストリアは仕方なく共和国としての道を歩み始める。
その後1929年の世界恐慌、1930年代の慢性的不況によりヨーロッパ各地でナショナリズムが台頭。オーストリアでもオーストリア・ナチが支持を集めるようになり、社会民主党(労働者階級から支持されていた)と対立するようになる。最終的にはナチス・ドイツによってオーストリアとドイツは合邦を果たすが、これはオーストリア国内では大いに歓迎されたそうだ。結果、ナチス・ドイツのユダヤ人排除政策も積極的に展開されていく。
「合邦」時点でのオーストリア国内におけるユダヤ教徒はおよそ18万2千人だったといわれる。第二次世界大戦(WWII)開始までに12万人以上が国外へ退去(事実上の追放)、残った人たちは強制収容所へ送られた。WWII終戦時、ウイーン市内に潜伏し生き残ったユダヤ人は5500人あまりだったという記録があるそうだ。
ロマ(昔で言うところのジプシー)も迫害の対象となり、終戦時に生き残ったのはわずか1500〜2000人だったという。本のなかには記述がないが、おそらくはナチス・ドイツと同様に身体障がい者、知的障がい者も排除の対象になっただろう。
戦後オーストリアは「ナチス・ドイツによる最初の犠牲者」だったという「モスクワ宣言」のストーリーを受け入れ、永世中立国として歴史を再スタートさせる(第二共和国)。「合邦」にあたってナチス・ドイツを積極的に支持した事実を覆い隠し、みずからを「犠牲者」と定義したことは興味深い。そして長いあいだ「ナチ時代のオーストリア」はオーストリアの歴史には含まれないものとされてきた。
こうした歴史がふたたび議論されるようになったのは2010年代に入ってからのことだという。これは90年代、元ナチスの流れを汲む自由党が第二党にまで上り詰め、極右ポピュリスト、ヨルク・ハイダーが人気を集めたことなどが影響したのではなかろうか。ハイダーの台頭は「ハイダー現象」と呼ばれたが、本人が2008年に交通事故で死亡すると急速に求心力をうしなっていった。
こうした状況に対する自己分析と反省が「ナチ時代のオーストリア」の再検証をうながしたのだと思われる。
押しつけられた誰も望まなかった国
長年にわたる不況
国内におけるナショナリズムの台頭
民族主義に対する国民の熱狂
移民問題・失業問題
人種差別
これらはナショナリズムにとっての必要条件で、現在の世界をおおっている暗雲でもある。そして多くの国が昔と同じように民族主義、排他主義へと向かいつつあるように見える。日本だって例外ではない。そのあと待っているのは戦争で、これは歴史を読んでみればすぐにわかることだ。残念ながら人類はこの流れを話し合いで解決した経験がない。オーストリアの歴史をお勉強してみたら見えてきたのは自分たちの後ろ姿だった、というオチになりそうである。
(追記その1)今年10月に前倒ししておこなれたオーストリア総選挙、最年少31歳のセバスティアン・クルツ率いる国民党(中道右派)が勝利した。単独過半数を獲得できなかったため社会民主党か自由党、いずれかと連立をしていくものと思われる。ナチの流れを汲む自由党と連立なんてことになれば事態はさらに悪くなるだろう。
(追記その2)カンガルーはアボリジニのことばで「I don’t Know」という意味で、それくらいコミュニケーションって難しいのよ、という話を映画『メッセージ(原題はアライバル)』で主人公(ルイーズ)がしていたが、これは俗説で根拠がないそうだ。実際には「飛び跳ねるもの」という意味らしく、こちらの方が信憑性が高いそうである。