合理性と消去法の「耐えられない軽さ」
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海外取材に行くと、なにかと時間に縛られる。集合時間があり、取材時間も決まっていて、飛行機の出発時刻やゲートに行く時間もチェックしなければいけない。ということで妥協案として安い腕時計を手に入れた。G-SHOCKの5600系というやつである。と言ってもとくに好きで買ったわけではなく、デュアルタイム表示可能でタフソーラー機能(太陽光発電+充電池)搭載であればなんでもよかった。
この腕時計は海外取材に行くときだけつけていたのだが、そのうちにタフソーラーの充電池がだめになった。昔はよく「太陽光発電で電池交換不要」などと謳っていたのだが、その充電池(二次電池)にも寿命があったのである。もっとも普段は引き出しのなかに入れっぱなしで使おうと思ったときにはいつも充電レベル=ゼロだったから、使う方にも落ち度はあった。
次に購入したのは同じ5600系の輸出用モデル(デュアルタイム、タフソーラーなし)。このときもスピードモデルだから買ったわけではなく、一番シンプルかつ自分で電池交換できるものという条件で探したら、これが一番安かったのである。たしか5000円しなかった。
電池をカシオで交換してもらうと、なんだかんだで4000円以上かかったと思うが、自分で交換すれば電池代(100円くらい)だけで済む。パッキン交換や防水テストなどはしてもらえないが、腕時計をしたまま泳いだりするわけではないので、まあそこはよしとしましょうかという算段である。デュアルタイム機能がなくなってしまったので目的地に着くと現地時間に合わせて使っていた。
携帯をiPhone 6sにしてからは携帯を鞄に入れっぱなしにする機会が増えた(大きくて邪魔だったからである)。時間を見るたびに鞄から携帯を出すよりは腕時計をした方が合理的ではないかと思い、もう1本G-SHOCKを買い足した。6900系の輸出用。これも電波時刻補正、タフソーラー、デュアルタイム機能など余計なものは一切ついていない。腕時計が2本になったので1本を日本時間、1本を現地時間に合わせて使うことにした。
なぜG-SHOCKばかり選んだのかというと、なにより安かったからだ。ほったらかしにしても動き続けるクォーツ時計だから、というのも理由のひとつとしてあった。2000年代前半、自分のまわりではスントを使っている人が多かったが、普段使わないものとしては価格が高く、さらに故障が多いと聞くと入手する気にはなれなかった。じつは自動巻きのアナログ式腕時計も1本もっているのだが、この時計は2日放っておくと止まってしまうし、機械式だから数年ごとにオーバーホールもしなければならない。ところが機械時計のオーバーホールというのは、どんなに安くとも数万円はするのである。要するに自分は腕時計マニアではないらしい。
その後、気が向いてGD-350というモデルも手に入れてみた。
http://products.g-shock.jp/_detail/GD-350-1B/
ワールドタイムとバイブレーション機能がついていて海外へ行ったときやインタビュー取材をするときに便利だと思ったのである。(カウントダウンタイマーをかけておくとバイブレーションで報せてくれるのでインタビュー中に時計を見なくていい。インタビューの時間制限があるときなどに便利)
最大の欠点はワールドタイムとアラーム機能が連動しないことだ。海外にいるのに日本時間でアラームを設定するのでは、ワールドタイムの意味がまったくない。アラーム機能はワールドタイムで表示している時間帯に連動すべきと思うが、そういうのはスマートウォッチでもないと難しいのだろうか。一人旅をしているときに携帯と腕時計、両方アラームをかけておく自分にとって、これはかなり大きなマイナスポイントだ。
と、ここまで書いてきた内容を全否定するようだが、ぼくはアナログ時計でないと時間感覚がうまくつかめない人間である。「あと残り何分」というような把握をとっさにするときには長針と短針という、あの昔ながらのグラフィックに、ぼくはかなり頼っている。デジタル表示は苦手なのだ。
それはよくわかっているのだが、なかなかこれといったアナログ腕時計は見つからない。三針式、デイデイト、長く飽きのこないデザイン。求める要素はこれくらいなのだが、いくらウェブサイトを眺めてみてもこれという時計には巡り合わない。(もちろん気に入った腕時計が見つかったとしても、価格というハードルがあるかもしれないのだが)
それまでは消去法でG-SHOCKを使うということになりそうだ。とくに不満はないけれど、どことなくもの悲しい話でもあると思う。