松本清張『昭和史発掘』


戦前戦後の昭和史をざっと俯瞰してみようと思い、だいぶ前に半藤一利著『昭和史』『昭和史 戦後篇』の2冊を読んだ。語り下ろしを編集者が文章にまとめたもので、するする読めるところがいい。さっきAmazonをのぞいてみたら『世界のなかの昭和史』という新刊も出ていた。これは未読。

明治から昭和にかけての歴史というのは文系の受験では、ほとんど出題されない。少なくとも昭和の頃はそういうことになっていた。出題されるのはなぜか明治時代までで、とくにその明治時代の政治変遷を暗記するのがポイントだと言われていたような気がする(気がする、と漠然とした書きかたをするのは、ぼくがついに受験明治史を暗記しなかったからだ)。

この時代に興味がないのかと言われたら、まったくそんなことはなく、谷口ジロー/関川夏央作『坊ちゃん』の時代など、けっこう読み返した記憶がある。

http://www.futabasha.com/botchan/
(フルカラー愛蔵版というのが出たらしく、公式ホームページがあった)

この作品には夏目漱石、石川啄木、森鴎外といった文人、山形有朋、桂太郎、原敬といった政治家、さらには幸徳秋水、荒畑寒村、管野スガなどの「主義者」まで登場する。いわゆる「大逆事件」についてもかなり詳細に描かれている。ストーリーは膨大な資料にもとづいて関川夏央が書いているのだが、ちょっとしたエピソード(といっても当時の東京市でなら、こんなこともあったかもしれないという、かなり妥当な推測に基づいている)の説明などは、あまり丁寧にはしてくれない。そこは自分たちで調べてみてよ、もしわかったらへえ、と言って感心してくれればいいや、というスタンスなのである。

『坊ちゃん』の時代は明治時代まで(漱石死去の数年前、修善寺の大患の少しあとくらい)で話が終わってしまうのだが、その後大正デモクラシーと恐慌、さらにつづいて軍国主義の時代がやってくる。ここのところの変遷、時代感を雑駁でもいいからつかみたい、というのが『昭和史』を読んだおもな理由だったように思う。

戦前昭和の事件と言えば、二・二六事件がまっさきに浮かんでくるが、全体像をあらためて認識したのはNHK特集だった。『二・二六事件 消された真実~陸軍軍法会議秘録~』という番組で、戦後発見された軍法会議資料を澤地久枝さんが検証していく、というのがストーリーの柱になっている。

この資料を分析した上で書かれたのが『雪はよごれていた―昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録(澤地久枝著・日本放送出版協会刊)』。


(画像 via Amazon)

絶版なので古本を取り寄せて読んでみたが、今ひとつ釈然としない。それで同じ番組に出てきた原秀男さんの著書『二・二六事件軍法会議(文藝春秋刊)』も読む。

原さんは元陸軍法務官ということもあり法務局内の事情も含め、かなり突っ込んだところまで推測しつつ書いている。これと比べると『雪は汚れていた』はやはり一歩物足りないと感じる(データを整理し、丹念に並べ、その行間から立ち現れてくるものを読む、という作業はすばらしいのだが)。これは『沈黙のファイル「瀬島龍三」とは何だったのか』を読んだときも思ったことだ。


(画像 via Amazon)

先日ふと気が向いて松本清張の『昭和史発掘』を手に取ってみた。タイトルどおり昭和、それも戦前の事件を中心に松本清張が解説していくという内容で、昭和40年代のベストセラーである。こういうのが大量に売れた時代があったのだ。

『昭和史発掘』に収められている文章はいずれも週刊文春に連載されたもので、第一巻の初出は1964〜1965年(昭和39〜40年)。敗戦から20年が経とうとしているが、一方でまだ戦前戦中の記憶も生々しい、そういう時期だ。単行本は1965年9月から順次刊行された。

内容の軸になっているトピックは軍部内部の権力闘争と暴走、社会主義者への弾圧、二・二六事件などで、これに芥川龍之介の死や谷崎潤一郎と佐藤春夫の間に起こった「妻譲渡事件」などの文壇スキャンダルものがときおり入る。内容は安定の松本清張節で、ストーリーは膨大な資料(一次資料や新聞記事、非公開資料も含む)を元に独自の見解、推理を織り交ぜて展開していく。

資料で外堀を埋めてから前後の事情、人間心理を探っていき、どうしても足りない部分については自分なりの推論を附する、というやり方はスリリングだし、個人的にも好みだ。「陸軍機密費問題」「石田検事の怪死」「朴烈大逆事件」「芥川龍之介の死」「北原二等卒の直訴」が収められた第一巻では、在日韓国人や部落住民に対する差別問題、それにまつわる奇妙な人間模様も描かれる。

事件ものは当然面白いのだが「芥川龍之介の死」「潤一郎と春夫(第二巻収録)」といった文壇ものも同じ小説家ならではの鋭い考察があちこちに出てきて、こちらも劣らず面白い。

これら古典にモチーフを求めたところに、芥川の新鮮さがあったのであろう。それらは自然小説の単調さを破って、いずれも面白い「話」になっている。となると、その「話」には語り口のうまさが必要となる。芥川が文章に対(むか)う凝り方は、その語り口の巧さである。

ためしに芥川の初期の作品群を読むがいい。そこにははち切れるような意気の高揚がみられる。まさに「人工の翼」をひろげて飛翔する彼の姿がある。(中略)芥川の作品ならどの期のものでも「死の光に当てられた暗い影がある」というのは、芥川の自殺を逆に置いた倒錯論であろう。

松本清張は夏目漱石の弟子としてスター街道を歩いてきた芥川龍之介を「鴎外や漱石の学殖の比ではない」と評している。本質的に短編作家であって同じパターンを何度も使ったりすることもある、とも書いている。「潤一郎と春夫」では谷崎潤一郎の妻・千代が離婚後すぐに佐藤春夫の妻となった経緯を丹念に追い、そこからこの3人の離婚&結婚劇は正々堂々としたものだったと結論する。前後の事情、時系列に沿った検証を読んでいくと、いっそさわやかと言いたくなるほどで、なるほどそうかもしれないなと思わされる。

調べてみると佐藤春夫は1964年5月、谷崎潤一郎は1965年7月末に亡くなっている。「潤一郎と春夫」が週刊文春に掲載されたのは1965年8月9日〜10月4日。谷崎の死後ひと月あまりで採り上げているわけで、これはある意味「旬のネタ」だったと言っていいだろう。

意外だったのは男女の機微について松本清張がかなり突っ込んだ考察をしていることだ。ジャーナリスティックに事実を並べ、徹底的に行間と紙背を読む人かと思っていたら案外こういうのも得意だったのである。

『昭和史発掘』は今のところ第三巻まで読んだ。このあと四巻を経て第五巻からはいよいよ松本清張が戦前昭和史の中核と目する「二・二六事件」のトピックが始まる。それは事件後の処理も含め最終巻の第九巻までつづくという。問題は一次資料が陸続とつづく本文が一気読みにはあまり向いていないということだ。事実を積み重ねて1㎜ずつ進むさまは、緻密であると同時に重量感があり「濃すぎる」と感じる人も多いだろう。読み進むには相当の胆力が要る。それが松本清張という作家の真骨頂である以上、文句を言っても始まらない。

というわけで残りの『昭和史発掘』は、ちょっと他の軽い本を読んで気分転換したりして、ゆっくり読もうと思っている。いま昭和戦前史を振り返ることは目の前にある政治の現実、日本社会の本質的傾向を知るという意味でも、ちょっと意義がある気がするからだ。といいつつ、昨日から手元にあるのはトーマス・マンの『魔の山』。これはどうしたことなのだ。