連鎖式読書法
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昔、山下達郎がプロデューサーつながりでレコードを聴いていた、という話をどこかでしていて、迂闊な自分はそのとき初めて「そうか、そういう聴き方もありだな」と思ったのだった。参加しているミュージシャンつながりとか、編曲家、エンジニアつながりとか、いろいろ派生パターンはあるわけで、人脈などもたどりつつ聴いていくとそれまでとは違った音楽の並びが見えてくる。2016年に出た『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』という本など、参考になってかつ非常に面白い。
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK115
もちろんこうしたやり方は読書でも使えるけれども、著者はともかく編集者つながりで、というのはクレジットでもないかぎりむずかしい(謝辞に並んでいる名前をチェックすれば、ある程度までは可能かもしれないが)。一番簡単なのは読んでいる本の文中に出てきたり、引用されていた書籍、あるいは巻末に並んでいる書籍紹介のページなどを参考に連鎖的に読んでいくという方法だろう。
あるいは読んでいる途中で「そういえばこういうこともあったけど、あれはどの本に書いてあったんだっけか」と思いつき、追加でリストをつくっていくという方法もある。すると読みたい本のリストはあっという間に数十冊になってしまう。いったいいつ読めばいいのだ、というあらたな悩みが生まれたりするわけだが、これはまあ本読みとしては仕方のないことだ。
今年の1月末に野中広務氏が亡くなった。とくに関心をもって見ていた政治家というわけではなかったが、野中氏は被差別部落出身であり、議員時代(2001年だったか)党大会前の河野グループ会合で麻生太郎が「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したことに激しく怒っていたことはTwitterなどを通して以前から知っていた。ちなみに麻生発言を否定する向きもあるそうだが(本人も誤解されて伝わったものだ、と弁明している)この日の会合に出席した3名の議員に確認したところ、差別発言はたしかにあったと確認されている。(魚住明著『野中広務 差別と権力』)
そんなこともあってまずはさらっと読めそうな対談本を読んでみた。人材育成コンサルタント、辛淑玉(しん・すご)さんとの対談本『差別と日本人』角川oneテーマ新書刊(2008年)。ふたりの意見はときに噛み合わないのだが、政治的立場を超えて「日本で差別されてきた者同士」として対話している。辛さんによる解説、追記などもあり、ときには野中氏を批判することもあるのだが、削除などされずそのまま掲載されている。一言一句までチェックし、あれこれ修正してくれと迫る人も多いなか、これで出版されたのは野中氏の度量なのか、辛さんの粘りだったのか、それとも担当者の英断だったのか。
(差別と日本人は日本における差別、被差別問題を概観するには、とてもよい参考書だと思う)
『差別と日本人』を読んでいる途中でより深く掘り下げたものを読んでみたくなり、魚住明著『野中広務 差別と権力』を続けて読んだ。2004年講談社からの発行で、本の扉には水平社宣言(1922年)の抜粋が掲げられている。生まれ育ち、戦争体験、戦後の大鉄勤務、政界入り、その後の権力闘争など、2004年時点までの歩みがエピソードを踏まえて丹念に書かれていて、なるほど、と思うと同時にかなりげんなりもさせられた。どこまでいっても日本人が内蔵しているナチュラルな差別意識、カネと権力、利権の駆け引きだけで動いていく政局ばかりだからである。(どの国の民主主義も裏側はこんなものなのかもしれないが)
野中広務という人は小渕内閣で官房長官を務め、ガイドライン関連法、盗聴法、国旗国歌法、改正住民基本台帳法などを次々と通した。現在もつづく「国民の基本的人権を制限する流れ」を最初につくった人物とも言えるが、その理由についてこんなふうに語っている。
「僕が力を入れてやったのは、国旗・国家法と男女共同参画社会基本法なんだ。この二つで頭が一杯だった。ガイドラインと住基ネットはもっと慎重にすべきだったと思っている。こちらが余裕がないときに、役所のペースで『ハイ、ハイ』とやられてしまった。(中略)小沢一郎と連立を組んでいたから、小沢の(要求)を呑んだ、という面が大きい。自自連立でしたからね」
一方で「らい予防法違憲国家賠償訴訟」への道をひらき、各部の調整にあたったのも野中氏だった。差別を憎み、弱者に寄り添う。権力闘争で巧みに立ち回り、ときに相手の弱みを握って勝っていく。この両方とも野中広務という人の顔だったのである。2001年の総裁選で小泉純一郎が圧勝し、野中氏は政治の世界から去っていく。小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」と言いながらアメリカ隷属、自己責任の新自由主義へと大きく舵を切った。
自衛隊の海外派兵に際しては「自衛隊のいるところは戦闘地域ではない」と言い、あるときには「人生いろいろ」などと答弁しては、まわりを煙に巻いた。思えば国会における日本語による対話の破壊は小泉時代に始まっていたのだ。そしてそれを手厳しく批判する大手メディアはなかった。
『差別と権力』を読んでいる頃、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんが『部落の女医』という本についてTweetしていた。
小林綾『部落の女医』(1962)読了。国家試験に合格したばかりの女医が、奈良の無医村の被差別部落に診療所を作り、村人との人間味溢れる交歓、苦難と共にあった10年間を綴る。時代は50年代、激しい差別や経済格差の中、偏見から自由な20代の著者の格闘が胸を打つ。何度も読み返しそうな、これぞ名著。 pic.twitter.com/Q3VdVGxxvf
— ソウル・フラワー・ユニオン (@soulflowerunion) February 1, 2018
岩波新書1962年刊。1950年代に奈良の部落で診療所を開いた女医さんの体験記である。書かれてから半世紀以上経っているにもかかわらず、ものすごい引力で読ませる。現場にいた当事者にしか書けないドキュメンタリーで、けっして明るい内容ではないのに、とてもみずみずしい。
(著者である小林綾さんのその後についてはネットを検索しても、それらしい情報なし)
魚住明さんつながりということで佐高信さんとの対談『だまされる責任』も読む。
(単行本初版は2004年。これは2008年刊の角川文庫版)
タイトルは映画監督・伊丹万作(伊丹十三のお父さん、と言っても最近の人は知らないかもしれないが)のエッセイ「戦争責任者の問題」から採られたもので、この小文のなかで伊丹は「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と書く。知識の不足もあるが、残りの半分は信念すなわち意志の薄弱からもくる、という。これは「15年戦争は国が国民を騙したのだ」「我々は騙されたのだから被害者だ」という物言いに対する痛烈な批判だ。それを踏まえて佐高氏と魚住氏は「今の政治に騙されるのも、騙される方が悪いのだ」と痛罵する。
目次を見ていくと、今の政治危機を予言するような内容が並んでいる。
「批判」を失ったジャーナリズム
上品は下品に絶対勝てない
自公連立がもたらしたもの
「居直りナショナリズム」が小泉人気を支える
「自己」がない世襲議員
「戦前と戦後は違うんだ」神話
病的に冷酷な日本社会
リクルートの「社畜」適性検査
「自己」を溶かす日本人
新政権の源流に「生長の家」
などなど。ほかにも石原莞爾──辻政信無責任ラインとか大本営作戦参謀を経て戦後伊藤忠会長、政界にも多大な影響力をもった瀬島龍三に関する記述もある。(長くなってしまったので今回は省くが、その後瀬島龍三に関する本も読んだ。こちらの紹介はまたいずれ)ちなみに文庫本の解説は森達也氏。こうやってとめどない読書の連鎖はつづいていくのである。