アンプラグドで過ごすには
このブログ、書くネタと時間があるかぎり(例外は取材旅行中)なるべく頻繁に更新しようと思っているのだが、6日ほど更新が滞ってしまった。理由は光回線のONU(回線終端装置というらしいが以下ルータと呼ぶ)が故障してインターネットが利用できなくなったため。
ウチでは諸般の事情によりNTTを利用しているのだが、サポートに電話してみたところ、その日のうちに代わりのルータを送付できるという。午前中に電話して14〜21時の間にお届けします、とのことだったが、配送はヤマトの当日便で届いたのは20時過ぎ。そこから設定したのだが、これがまたなんとも時代遅れで面倒なのだった。ルータを設定するためにはPCとルータをLANケーブルで直結しなければならない。
ウチにあるMacでLAN端子がついているのは初代iMac(一応起動はする)のみ。あいにくUSB→LAN変換ケーブルももちあわせていない。だいぶ前にWindows10へアップデートしたままのLenovoのラップトップがあったので、しかたなくそれを出してきて設定した。(しかし使い古しのWindowsってのは、なんでずっとシステムスキャンばかりしてるのだろう)
回線はつながったものの今度はWiFiルータがつながらなかったため、こっちも初期化してファームウェアを更新→設定。速度がまったく出ていなかったので各種設定を変更、DNSも変更したりして普通に使えるようになったのは翌日の昼頃だった。
(イタリアの街角で見かけたグラフィティ。ネット中毒、SNS漬けの人間を揶揄している)
ところでルータの到着を待っているあいだインターネット回線なし(携帯のネットワークは使えるがルータやWiFiでつながっているテレビやPCのサービスは使えない)で過ごしたのだが、これが案外悪くなかった。
ネットサーフィン(死語)してYoutubeやウェブサイトを見る代わりに本を読む。NetflixやAmazonプライムビデオを観る代わりにDVDを観たり、ステレオで音楽を聴く。すぐアクセスできる情報が減って、ものごとの処理速度も下がってしまうのだが、いろんなことが落ち着いてできるんである。
先日とある講演会を聞きにいくためにクルマを立体駐車場に入れた。駐車場を出てすぐにスマートフォンを車内に置き忘れてきたことに気づいたが、行き先は知っている場所でもあるし半日くらいケータイなしでも構わないだろうと思い、そのまま会場入りした。困るのはメモ代わりに写真を撮れないことくらいで、スマートフォンがなくても困ることはなにもない。
持っていたらいたでメールや交通情報、天気などチェックしてしまうのだが、それはかならずしも必要ではないのだなと再認識した。(そういえば交通情報、天気予報などは昔は家ではテレビ、クルマではラジオに頼っていた。ネット情報があるおかげでテレビ、ラジオなし生活が送れている、とも言えそうである)
仕事面では手書きからワープロへという変化が80年代後半にあったし(とはいえ90年代初頭の出版業界でも手書きの人がまだ半分以上いた)、インターネットが普及してからはブラウザの横書き記事を読んだり、サマリーをビデオで観たりすることにも慣れた。しかし慣れることと自然であることは別で、やはりアナログのペースと手触りは落ち着くのである。
SNSを複数やっていると更新やTLの閲覧だけでかなりの時間を取られるが、そうした時間は多くの場合、数分単位の細切れになる。アナログ生活ではこうした「細切れ時間」が減るので、結果何かをするときのペースが下がり、ひとつのことに割くひとこまの単位時間が増える。落ち着くと感じるのは、この単位時間が人間のペースに合っているからかもしれない。
アンプラグドで過ごす時間を増やすと生活クオリティが上がる、と今さらながらに実感したのだが、それを気づかせてくれたのがルータの故障だったというあたりが、なんとも不甲斐ない。