タクシーとコインランドリー


海外を旅していて他人と話す機会が多いのはタクシーに乗っているときと、コインランドリーで洗濯をしているとき。あくまでも自分の場合であって、他人もそうかどうかはよくわからない。タクシーで話す相手はもちろんドライバーだが、バンタイプのタクシーだと乗り合いになったりすることもあり、そういう場合はほかの乗客とも話すことになる。

大型のスーツケースで旅するようになってからコインランドリーに行く機会はなくなっていたのだが(日程+1日分くらいの着替えは楽勝で入ってしまう)、昨年あたりからスーツケースのサイズを小さくして旅程の中ほどで洗濯をするスタイルに戻した。すると洗濯にやってきた人と話す機会が増えたのである。

これは昨年秋に行ったパリのコインランドリー。昔からパリは「サービス業従事者の態度が悪い」「英語で話しかけてもわからないふりをされた(もしくはフランス語で返された)」「道に犬の糞が落ちている」等々、とても評判が悪い。知人のひとりなど、大のフランス好きで横縞のボーダーシャツまで着て出かけていったのに、あちこちでさんざんな扱いを受け「もうフランスには二度と行きたくない」とぼやいていた。

ぼく自身の経験でいうと、フランスでいやな思いをしたことは、さいわいなことにまだ一度もない。ロンシャンという田舎町に行ったときはショップのおばさんが英語で丁寧に説明してくれたし、パリで宿泊したホテルのレセプションも「お前はイタリア人か」というくらい陽気で声のでかい人だった。美術館やショップのカウンターで愛想の悪い人や態度の悪い人もいたけれど、過去に海外でさんざんな目に遭ってきた自分からすれば、それくらいは許容範囲内である(いつアジア人差別にあってもおかしくないくらいの心持ちでいるので、多少のことではなんとも思わなくなっている)。

話はパリのコインランドリーに戻る。アメリカでは何度もコインランドリーに通っていたが、欧州ではこのときが初めてだった。聞くところによると、全自動といっても水温の設定など、いろいろ項目を選ぶことができるらしい。選ぶことができる、ということは洗濯物とコインを投入しただけでは洗濯機は動き出さない、ということでもある。こりゃ困ったね、と思いつつ洗濯機に洗濯物を入れ、壁面にある投入口にコインを入れてみた(コインの投入口は各洗濯機の上にはなく集中制御になっている)。案の定、まったく動く気配がない。目の前にある説明書きはフランス語。Googleのリアルタイム画像翻訳という文明の利器もあるのだが、WiFiのルーターを部屋に置いてきてしまった。打つ手なし。

するとタイミングよくフランス人とおぼしき若い男性が入ってくるではないか。さっそくつかまえて「すいません、これどうやって使えばいいんですか」と英語で訊いてみた。うわさ通りなら無視されるかフランス語が返ってくるはずだが、なんと英語で洗濯機の使いかたを教えてくれるではないか(先にモードをセレクトして、それからコインを入れるんだ)。しかも訊いてないのに乾燥機の使いかたまでアドバイスしてくれた(1回じゃ乾かないから2回連続で回したほうがいい)。あのパリの悪評はなんだったのだと拍子抜けした。

タクシーの運転手は話してみると面白い人が多い。’90年代のニューオリンズではテレビで映画「ショーグン」を観たばかりだというおっさんから「子どもが親の言うことを聞く、あれはすばらしい伝統だ。今でも日本はそうなのか」と問い詰められたし、ダブリンの運転手は「セント・パトリックス・デイ1週間分の宿泊費で12月なら1ヵ月滞在できる」「アイルランドの人は自宅に客が来るのを好まない。かならずパブで会う。その方がくつろげる」とか、いろいろな話をしてくれた。

CDGから乗ったUberのドライバーは「パリで数ヶ月働いたカネをもってタイの離島へ行けば、数ヶ月遊んで暮らせる。マレーシアもいい。自分はイスラム教徒だからマレーシアの女の子と結婚して向こうで家庭をもつなんてのもいいと思ってるんだ」と将来のプランについて教えてくれた。

先日もイタリアのとある街で洗濯していると体中にタトゥーの入ったスキンヘッドの男が入ってきた。見たところ40代前半。着ているものや表情からアメリカ人だろうと思ったら、やはり彼はアメリカ人だった。「どこから来たんだい」「この街には何日目?」「イタリアは初めてかい」みたいな定番のやりとりのあと、なんとなく話はラスヴェガスの銃撃事件のことになった。その日は10月2日で事件の一報が臨時ニュースで入ってきたばかりだったのだ。

「コンサート会場の上からマシンガンを10丁くらい並べて乱射したそうだ。カントリーのとてもいいミュージシャンのコンサートなのに。500人以上が病院に運ばれたって言っていた。話してるだけでも鳥肌がとまらない」そう話す彼はテキサス・ヒューストン在住の42歳。仕事は美容師で最近自分の店を出したばかりらしい。奥さんとの2人旅でヨーロッパは初めてだと言っていた。

アメリカには98年以降、20年近く行っていない。彼と話をしながら90年代初頭、アメリカで出会った人たちのことを思い出していた。どの人も陽気で前向きで、英語がうまく出てこないぼくのことを「ゆっくり落ち着いて話せばいいんだ。十分わかるし、通じてるよ」と言って励ましてくれた。受験英語がまったく頭に入らなかった自分が英語を捨てなかったのは、ひとつにはこうした人たちの存在が大きい。アメリカには借りがある、とあらためて感じさせられたできごとだった。

乾燥機からとりだした洗濯物をバッグにつめてホテルへ帰る。「話ができて楽しかった」「よい旅を」おたがいにそう言って握手をしたのだが、そのときの彼の身体の動かしかた、動作のひとつひとつもじつにアメリカ的だった。