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ヒロシマ | 本と映画とMusic
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ヒロシマ

ちょっと所用があり、8月は広島へ行く機会が2回ほどあった。広島へは10数年前に仕事で一度行ったきりで、そのときは前泊してお好み村でお好み焼きを食べただけ。広島駅の北側に泊まったので、原爆ドームも平和記念公園も見る機会がなかったのである。

というわけで今回は空き時間に平和記念公園へ行ってみた。広島駅前から路面電車に乗る。最高気温は37℃とかで、蒸し暑さもあって日なたを歩くと倒れそうである。


(ときどき旧い路面電車がやってくる。車内のプレートを見るかぎりでは九州で使われていたものらしい)

この日は「原爆の日」の前日(8月5日)ということもあり、原爆ドームのまわりにはさまざまな団体の人たちが集まっていた。ダイ・インする人たちあり、読経する人たちあり、各種ビラを配る人たちあり。原水禁の幟旗も目にした。

http://hpmmuseum.jp
(資料館の公式ウェブサイト。現在本館は改修中で展示は東館のみ)

「展示を見たあと落ち込んでまともに食事ができなかった」「楽しい雰囲気の旅行が一気に暗くなった」など、見学者の感想は以前から耳にしていたのだが、東館の館内はモダンで、展示も各種グラフィックを駆使したスタイリッシュなものになっていた。


(爆心地と被害範囲を見せる装置。当時の航空写真を使って原爆投下前と投下後の様子が描かれる)


(タブレットを使い当時の状況、被害状況などが閲覧できるコーナー)


(写真とデータによる、いわゆるパネル展示)

原爆による被害を二度と繰り返してはならない、というメッセージは伝わってくるのだが、個人的には「きれいにまとまりすぎている」と感じた。現在改修中の本館も、この東館に準じた展示に変わっていくのだろうか。

唯一うーむ、と思ったのは縮景園の裏門で泣いている幼児を見かけて声を掛けたが、そのときには死んでいた、という絵。


(作者不詳とのこと)

釈然としないものを感じたので、8月下旬に再度広島へ行った際に「袋町小学校 平和資料館」を見学してみた。爆心地から460メートルの場所にあった小学校を保存、資料館として活用したもので、地下1階、地上3階のRC造。当時としては非常にモダンで立派な建物であったそうだ。公式ウェブサイトはこちら。

http://www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp/shiryoukan-index.htm

館内にはボランティアの学芸員さんがいて、お願いすると館内をひととおり案内してくれる。規模も小さく、平和記念資料館のようなモダンな展示などもないのだが、こちらの方が圧倒的に生々しいというか「当時とつながっている」という感じがする。


(入口に展示されているパネル。1945年9月17日の枕崎台風による洪水被害で、中島本町周辺にあった被災者のバラックなどは根こそぎ流されてしまったそうである。この写真は洪水被害後に撮影されたもの)

原爆投下時、小学校にいた人たちはほぼ全員が死亡したが、小学校は救護所として利用され、入口を入ったところにある階段横の壁には安否を報せたり、人捜しをする人たちの伝言がびっしりと書かれていた。戦後、その上にペンキを塗ってしまったのだが、のちに発見され、文字の判読作業などもおこなわれている。


(壁が黒くなっているのは被爆による煤によるもので、その煤の上にチョークなどで伝言が書き込まれた。同種の書き込みは校舎解体時に黒板を外した際、黒板裏などからも発見されたという)

戦争体験や、公害被害などを世代を超えて語り継いでいくのは難しい。広島の平和記念資料館がそうであったように、展示はときとともにモダンになり、生々しさや悲惨さは次第に色褪せていく。当時の事実を語る人たちも次第に当事者ではなくなりつつある。(高齢化が進み、亡くなったり、現場に立つことが難しくなってきているのである)

これは広島、長崎に限ったことではなく、ひめゆり平和祈念資料館、水俣病資料館、ハンセン病資料館など、さまざまな資料館が抱える悩みであるようだ。

聞けばアウシュヴィッツの博物館は、戦後すぐの頃から一切展示を変えていないという。これはそのときどきの政治状況や時代の雰囲気などで展示の方向性を変えてはいけない、という創立者たちの堅い意志を反映したものだろう。広島平和記念資料館で感じた違和感は、こうした姿勢のある/なしに大きく関係しているような気がする。この手の展示はスタイリッシュでわかりやすければいい、という類のものではないのである。

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