東中野のポレポレで『ヨコハマメリー』を上映している。これは行ったほうがいいかな、と思っていたらNetflixでも配信されていた。2006年公開の映画で、かつて横浜にいた娼婦「メリーさん」を追ったドキュメンタリー。
フリルつきの洋服を着て、顔と手を真っ白に塗った「メリーさん」は、’95年頃まで横浜の街にいた。書籍だと山崎洋子著『天使はブルースを歌う ──横浜アウトサイド・ストーリー』にメリーさんのことが書かれているそうだが、現在は絶版でプレミア価格がついている。
ひとり芝居でメリーさんを演じた五大路子著『白い顔の伝説を求めて ──ヨコハマメリーから横浜ローザへの伝言』という本もあり、こちらも絶版だが、『天使はブルースを歌う』に比べれば価格はまだリーズナブルだ。
(本編とは関係ないが、舞台独特の台詞まわしはどうも苦手)
普通に入手できる本はないのかと思って調べたところ、檀原 照和著『消えた横浜娼婦たち 港のマリーの時代を巡って』 という本があった。これはKindle版(350円)が販売されている。(Kindle Unlimitedの会員になると0円で読める)
ウェブ上では、はまれぽ.comの記事がよくまとまっていて読みやすい。
http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=2097&from=
(2013年7月21日の記事)
この映画のもうひとりの主役はシャンソン歌手、 永登元次郎(ながと・がんじろう)。かつて男娼もしていた元次郎はメリーさんのことを他人とは思えず、さまざまなかたちで援助する。自身も末期癌に冒されており、人生の残り時間はほとんどない。彼は2004年に亡くなっているが、この映画の製作はその翌年2005年である。
いわゆる都市伝説を追ったドキュメンタリーものだが、根底にはつねに「港ヨコハマ」がもつ独特のエキゾチシズムが流れている。開国と同時に貿易港として開かれ、外国人居留区と南京町があり、戦後は進駐軍が駐留した街。今ではかなり薄まってしまったが、それは消そうとして消せない体臭のようなものだ。
成り立ちは神戸とも近いが、神戸にはこれほどの米軍のプレゼンスはなかった。沖縄も似たところがあるが山手に洋館が建つような異国情緒とはやや遠い。横須賀は都心から離れていて盛り場としての規模は横浜には及ばない。横浜には野毛、伊勢佐木町、本牧、山下町、米軍居留区、日ノ出町、黄金町、真金町などがあり、愚連隊、その道のプロ、GI、中国人、娼婦などが入り乱れていた。メリーさんもそのなかのひとりだった。
映画はメリーさんの記録映像と関係者へのインタビューで構成されている。ハプニングや事件がとくに起きるわけでもなく、ストーリーは淡々と進む。「失われてしまった横浜」についての証言も数多く登場するが、根岸家の跡を訪ねるシークエンスなど、とても興味深かった。と同時に半世紀前の建物、街の風景がどんどん消えていく日本という国の状況に、薄ら寒いものを感じることもまた事実だ。
ストーリーと関係ないところで印象に残ったのは90年代、2000年代前半の日本が、いまの世の中よりもやさしげで豊かに見えたことだった。経済的格差も今ほど広がっておらず、貧困問題はまだ表面化していなかった。小泉内閣による郵政民営化法案可決が2005年。自己責任を標榜する新自由主義の波はこの映画が封切りされた頃から徐々に日本を浸食し、今や逃げ場のない状況となりつつある。
昭和10年代後半の人たちが大正時代を懐かしむとすれば、こんな気持ちだったのではないか、今の世の中だったらメリーさんは伊勢佐木町で生きていけただろうか、などと思いながら伊勢佐木町の風景をぼくは観た。