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世間の評価と自分の評価

今さらながらエマ・ワトソンの『美女と野獣』を観た。まったく知らなかったのだが、この映画はミュージカルである。ミュージカル映画とはなぜか相性が悪いので冒頭歌のシーンが始まってすぐ、かなり心配になった。誤解のないように言っておくと、エマ・ワトソンは好きな女優のひとりである。『The Perks of Being a Wallflower(邦題:ウォールフラワー)』とか、けっこう良かった。みんなハーマイオニーって呼ぶけど。

『レ・ミゼラブル』もダメだったし、『マンマ・ミーア!』に至っては最後まで観ることができなかった。最近の話題作『ラ・ラ・ランド』も途中で無音にしてBGVにしてしまったほどである。そういえば先日飛行機の中で観た『エイリアン・コヴェナント』も、どうしても最後まで観られなかった。もしかしてあの映画はミュージカルだったのか。

ジーン・ケリーの『雨に唄えば』はあまり違和感なく観た記憶があるのだが、この映画を観たのは40年代50年代テイスト全盛の80年代だったので(雨に唄えばは52年の作品)今観ても同じ感想をもつかどうか、ちょっと自信がない。『サウンド・オブ・ミュージック』は断片しか観たことがない。

というわけでかなり心配だったのだが、本編を観る上で歌はまったく気にならなかった。画面の色味がファンタジー映画にしてはちょっと地味かなという気もしたが、出来はかなりいい。この映画、ディズニーが制作・配給を手がけた初めての作品でもあるという。

ストーリーもいいしキャストもいい。映像も美しい。どこを取っても文句はないし、実際興行的にも成功している。しかし個人的には今ひとつ入り込めない映画という印象をもった。なんというか突き抜けたところがなく、妙に教条的に感じられるのである。昔の日本映画でいうと「文部省推薦」みたいな堅苦しさが、どことなく漂っている。『コンタクト』でジョディ・フォスターが演じた女性科学者が、ちょうどあんな「硬さ」を身の回りに漂わせていた。

興行的にはあまり成功せず、アメリカでの評価も低かったようだが、ぼくはフランス・ドイツ合作の『美女と野獣』(2014年)の方が好きだ。

レア・セドゥを見ると「この人を美人女優と呼ぶべきなのだろうか」といつも悩んでしまうのだが、それは横に置いておくとして、こちらの方がセンス・オブ・ワンダーがある。知らない世界に引き込まれる感覚がしっかりとある。対してエマ・ワトソン版『美女と野獣』の方は(映画の中の)現実世界と異界のギャップがあまりない。善玉と悪役もはっきりと分かれていて、ストーリーも定型的だ(そのわりにゲイの登場人物=ル・フゥが出てきたりするのだが)。

やはりディズニー的世界はこうでなければ、ということなのだろうか。『スターウォーズ ローグネイション』でもエンディングを変えたというディズニーの世界観(エピソード4との整合性を優先して主要人物のほとんどを死なせることにした)を、ぼくはあまり信用していない。

子供だましは子供だましだと見抜いてしまうのが実際の子どもというものであるし、作品に込めた毒もアイロニカルな笑いも、理解できる子はしっかりと理解する。子ども向けだからといって妙な配慮をする方が、よっぽど害があるのではなかろうか。

話は変わるが、『スターウォーズ』や『エイリアン』の近作、あれもちょっといただけない。ものすごい予算と技術を使って「壮大なつじつま合わせ」をやっているように思えるのだ。思いついてオリジナルの『エイリアン』(79年)を観直してみたら、こっちはひきしまった、じつにいい映画だった。やはりどこかでなにかが変わってしまったのだ。

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