「MERU/メルー」という映画、劇場で見逃してDVDになってから観た。
このところドキュメンタリー、あるいはセミドキュメンタリー映画が流行っているようだ。フィクションとして描かれた作品でもタイトルバックに「事実にもとづく物語」みたいなワンラインが入っていることが多い。フィクションにリアリティを感じられない時代になったのか、それとも「事実にもとづく物語」でなければ人びとの共感を得られないのか、あるいは優れたドキュメンタリーの方が集客力があるというリサーチデータでもあるのか、くわしいことはよくわからない。ひとつには機材が小型化、安価なものとなり(デジタルカメラとメモリーカードがあれば撮影でき、高価でかさばるフィルムも不要になった)、1人でも映画が撮影可能になった、ということも大きな影響を及ぼしているのだろう。
もちろんドキュメンタリーだったり「事実にもとづい」ているからといって、その映画が面白いものになるとは限らない。関係者の証言をただ並べただけの、比較的地味な映画というのもけっこう多い。たとえば「ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男(原題:Altman)」も、そんなドキュメンタリーのひとつだったと思う。丁寧に取材・撮影され、編集もきちんとしているのだが、ストーリーに驚きやドラマがない。なんというか、ロバート・アルトマンの撮った作品の方が、この映画よりも圧倒的に刺激的で面白じゃないか、と思ってしまうのだ。こうなるとドキュメンタリー作りはちょっと、いやかなり分が悪い。
「現実の人生ってのは、そんなにドラマティックなもんじゃないよ」と言われてしまえばそれまでなのだが、強烈な人生を送ったハンター・トンプソンの自伝映画「GONZO〜ならず者ジャーナリスト ハンター・S・トンプソンのすべて〜(原題:Gonzo: The Life and Work of Dr. Hunter S. Thompson)」の出来も、自分にとっては満足できるものではなかった。サイケデリック・グールー(導師)、ティモシー・リアリーの死をドキュメントした「ティモシー・リアリー(原題:Timothy Leary)」くらいになると、さすがに衝撃的ラスト(本人の死と頭部の冷凍保存)があるので印象に残るが、これはあくまでも例外だろう。
ドキュメンタリーの撮影中に主人公が死亡するという作品には「Piano Players Rarely Ever Play Together」というのもあった。ニューオリンズの伝説的ピアノ・プレイヤーであるプロフェッサー・ロングヘア、アラン・トゥーサン、トゥッツ・ワシントンが共演するコンサートの舞台裏を追っていくのだが、リハーサルなかばでプロフェッサー・ロングヘアが急死してしまう。撮影隊は彼の葬儀を追う。映画の後半は、はからずもフェスの葬儀ドキュメンタリーとなっている。
「事実にもとづく物語」でも、充分観せる映画はある。最近では「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(原題:Trumbo)」が、かなり頑張っていた。
というような状況が続くなか、「MERU」という映画は、じつはあまり期待せずに観た。しかしながらその予想はいい意味で大きく裏切られた。「MERU」は、とんでもなくよくできたドキュメンタリー映画だったのだ。ベテラン・クライマーのコンラッド、そのコンラッドとチームを組んで登山をしてきたアジア系クライマー・ジミー・チン、このふたりにロック・クライマー&登山家のレオン・オズタークが加わり、MERUの前人未踏ルート「シャークス・フィン」に挑む。
2008年、最初のチャレンジは失敗に終わる。その後、ジミー、レオンのふたりは人生観が変わってもおかしくないような大事故を経験、コンラッドも自らの過去や大切に思う家族とのはざまで、ふたたびシャークス・フィンに挑むべきか自問自答をつづける。このようなドラマを経験しつつも3人は2011年にふたたびチームを組み、今度はみごと登頂に成功する。よくできたフィクションのような筋書きだが、これが3〜4年の間に本当に起こったのだから、すごいとしか言いようがない。
もとより狙って撮れるようなストーリーではないし、文字どおり前人未踏の登頂シーンは撮影クルーが同行して撮るわけにもいかない。この映画ではジミー・チンとレオン・オズタークが撮影を担当しているが、世界トップクラスのクライマーが写真家かつ映像作家(レオンは絵も描く)でもあったという事実が、この作品を可能にしたと言えそうだ。監督、プロデュースはジミー・チンと彼の妻であり、作品作りのパートナーでもあるエリザベス・チャイ・バサヒリィ。エリザベスはこの作品に客観的視点を与えてくれた、とジミーは語っている。
MERU登頂でもっとも恐かったのはどんなときでしたか、という質問に対してジミー・チンは「氷点下30度、大きな登山用グローブをしたままの手でカメラからメモリーカードを取り出したときかな」と答えている。撮影済みのメモリーカードを6000メートル下へ落としてしまうのは、たしかに映像作家にとって最大級の恐怖だったに違いない。想像しただけで身がすくむとは、まさにこのことだろう。