70年代に「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画がヒットした。アメリカでは77年、日本では翌年の78年に公開されている。
ディスコ映画かよ、と敬遠した人も多いだろうし、自分もまったくそのクチだった。しかし公開から40年以上を経てみると「流行りもの」に対する反感、偏見はまったくなくなって「昔ヒットしたB級映画」として普通に観ることができる。ジョン・トラボルタ若いな、とか、若い頃はこんなに細かったのか、とか、そういう愉しみ方ができるのもいいところだと思う。(インタビューによると、この映画に出演するにあたり、トラボルタは10㎏近く減量したそうである)
途中まで観て「こういう設定の映画、以前にも観たことがあるな」と思ったのだが、よく考えて見ると、それは「理由なき反抗」であった。
(ジェームス・ディーン主演、原作・監督ニコラス・レイ。1955年)
「理由なき反抗」の主人公はロサンゼルスのハイスクールに転校してきた白人家庭のティーン・エイジャー、「サタデー〜」の方はニューヨーク・ブルックリンに暮らすイタリア系移民(英語を話さない祖母が出てくるので、おそらくは移民三世)という違いはあるが、どちらの映画も10代の青年たちの行き場のないエネルギー、自分では大人だと感じているものの、いまだ親と同居しているという葛藤、親に対する反感、将来に対する漠然とした不安、刹那的な楽しさ/危険を求める気持ち、等々がベースとなっている。
「サタデー〜」では橋ひとつ隔てたブルックリンとマンハッタンの格差、ブルックリンからなんとかして抜け出したいという主人公トニーの願望も描かれていて、映画もそこに希望を持たせる形で終わっている。夜明けのグリフィス天文台から家族、ガールフレンドとともに去っていく「理由なき反抗」のラストシーンにこうした葛藤が描かれていないのは、ひとつには50年代という時代もあっただろうし、さらにはロサンゼルスと移民ひしめくニューヨークとの違い、ということもあっただろう。
それ以外にも違いを感じる部分はいくつかあるのだが、もっともギャップを感じるのはヒロインのイメージだ。「理由なき反抗」のナタリー・ウッドに対し、「サタデー〜」のカレン・リン・ゴーニーはイメージが弱い。劇中では「知性と品格を感じさせる女性で、さらにダンスもうまい」という設定なのだが、どこからどう見てもそうは見えない。
カレンは1945年生まれでトラボルタより9歳年上(撮影当時、トラボルタは22〜23歳)。2人が並んで立つとカレンは背が低く、かなり年上の女性という印象だ。ダンサーとしての魅力にも乏しい。これでよくヒットしたなと思ったのだが、観客の多くはテレビドラマ「Welcome Back, Kotter」で人気が出始めていたジョン・トラボルタが観られればよかったのだろう。実際、ニューヨークのロケではめざといファンが大勢集まってきて、撮影にかなり苦労したらしい。
コリオグラファー(振付師)について猛特訓したというトラボルタのダンスもけっこう見応えがある。
(You Should be Dancing, Bee Gees)
DVDに収録されているインタビューによると、このシーンは当初クローズアップのカットを中心に編集されていたという。そのラフカットを観たトラボルタがこれじゃダメだと映画会社にかけ合い、全身が映っている「引き」のカット中心の編集に変えさせた。監督の編集権はどこへ、という話だが、このシーンに関するかぎりトラボルタの判断は正しかった。
ところで「サタデー・ナイト・フィーバー」には原作といわれる「Tribal Rites of the New Saturday Night」のほかに映画から書き起こされた、いわゆるノベライズ版がある。80年代、映画のノベライズ版小説に関するエッセイを読んだのだが(たしか片岡義男だった)、「サタデー〜」のノベライズ版の出来はかなりよい、むしろ映画より描写が丁寧という評価だった。Amazonで検索してみると1978年版の日本語訳のほか、1977年版の英語版ペーパーバックも手に入る。ただし英語版のペーパーバックには2万円超のプレミア価格がついている。(日本語版は900円程度)
できたら英語で読むべきだろうなあと思ってAmazon.comを検索してみると、5ドル49セントから古本が売りに出ていた。送料込みだと10ドルを超えるが、それでも圧倒的に安い。しかし、そこまでして読みたいのかと言われると、正直微妙なところだ。この手の本は、なんというか「古本屋で偶然見つけたのでなんとなく買ってみた」というくらいが、ちょうどいい気がする。
というわけでペーパーバック版は当面買わないままだろう。どのみち映画から40年、エッセイから30年遅れなのだ。今さら焦ったって仕方がないのである。