古典芸術というものは正直よくわからないし、一枚の絵画の前で感動して動けなくなったという経験も今のところない。昔から名画、名作を見るために列に並ぶのは、まっぴら御免というタイプで、数年前までは美術館に行くこともほとんどなかった。
ここ数年で美術館に行く機会はけっこう増えた(あくまでも昔と比べれば、という話である)が、相変わらず名画、名作といった類にはあまり興味がない。予備知識なく観に行って気に入ったものがあればそれをずっと観ているだけである。
にもかかわらず、わけもなく気に入ってしまう作家、作品というのもある。作品単体ということで言えば、以前エントリにも書いたモネの「日傘の女」がそうだった。
作家ということでいうと、アルベルト・ジャコメッティがそうかもしれない。この人の作品を初めてまとめて観たのはパリのピカソ美術館だった。このときも時間が空いたのと、泊まっていたホテルから歩いて行ける距離だったので、なんとなく足を運んでみた。すると、ジャコメッティの企画展をやっていたのである。
(右がピカソ、左がジャコメッティ、いずれも20歳の自画像)
(午前中早めの時間だったが、子供たちが学芸員の解説を聞いていた)
それまでジャコメッティ=針金のような彫刻を作る人、というイメージしかなかったのだが、このときの企画展ではシュールレアリスム時代の作品や絵画、晩年描き続けた人物(というか頭部)のデッサンもたくさん展示されていて、インタビューを受けながら絵を描くジャコメッティの映像なども流されていた。
(こういうのも含め、代表作はほとんど網羅されていたらしい)
よくわからなかったのは人物デッサンである。モデルは椅子に座っていて、顔は正面を向いている。背景含め、色はほとんど塗られていない。執拗に書き込まれているのは頭部のみで、顔の造作をひたすら描き込んでいった結果、首から上はほとんど真っ黒に見える。いわゆる「芸術作品」には、とても思えない。
異様なのは目で「ここに目があるはずなのだ」というジャコメッティの脳内座標軸データによって眼窩が設定されているように見える。結果的に目の表情というものは、ほとんどわからない。一連のデッサンを見て感じた印象は「ジャコメッティという人は人間の頭部、もっといえば皮膚の下にある頭蓋骨そのものをひたすら描いていたのではないか」というものだった。
以来、ジャコメッティのことは、ずっと気になっている。
しばらく前に「Final Portrait(邦題:ジャコメッティ 最後の肖像)」という映画を観た。主演はジェフリー・ラッシュ。予告編を見るかぎりではジェフリー・ラッシュがジャコメッティを演じるというのは、まさにはまり役であるように思えた。監督はスタンリー・トゥッチで、この人は「プラダを着た悪魔」のナイジェル、「Shall We Dance?」で竹中直人の役(こういう説明は不適当なのかもしれないが)などを演じた俳優である。
わりと期待して観たのだが、これが予想に反してまったく面白くなかった。ジャコメッティという人は自分の前にモデルを座らせ、来る日も来る日も同じ構図の絵を描きつづけることで有名で、数日かけて描いた絵を削り取ったり、消してしまうこともしばしばあったという。この映画では(多少のイベントはあるものの)その日々が延々と、漫然と描写されるだけなのだ。
この映画を観るさらに少し前、矢内原伊作〈やないはら・いさく〉の『ジャコメッティ』(みずず書房刊・1996年)という本を読んだのだが、こちらはかなり面白かった。「〜最後の肖像」への期待は、この『ジャコメッティ』によるところが大きい。
矢内原伊作は1918年愛媛県生まれの哲学者。1954年にフランス国立科学教育センターの招きでフランスへ渡り、1956年まで現地で過ごした。1956年の10月から12月にかけて、かねてから知人だったジャコメッティのモデルを務め、以降、1957,59,60,61年の夏をパリで過ごしている。といってもバカンスで訪れたわけではなく、ジャコメッティのモデルを務めるためである。それはジャコメッティのアトリエで毎日椅子に座りつづけることを意味した。
『ジャコメッティ』には矢内原やその知人が撮影したと思われる写真も収められている。ジャコメッティと矢内原は、イタリア語圏スイス人と日本人という違いはあるものの、頭骨の形、顔の基本的な造作などはよく似ているように見える。目や口は矢内原の方が小さめだが、顔の輪郭、鼻、耳の形など、かなり似ている。
2人の会話も興味深い。「自分には描けない、こんなものはダメだ」と怒るジャコメッティに対して、矢内原は励ましと信頼の言葉で応える。その会話はほとんど禅問答に近い。しかもどこかユーモラスだ。こうした会話の内容は、モデルを務めたあと、矢内原が記憶を頼りにノートにまとめたものだという。
矢内原はジャコメッティの死後、1969年に筑摩書房から『ジャコメッティとともに』という自著を出版した。仏語訳も出版されたが、未亡人であるアネット夫人からの抗議を受け、国内版、仏語訳ともに発売中止、廃版となっている。前述の『ジャコメッティ』は、この廃版となった『ジャコメッティとともに』からの抜粋、ジャコメッティからの書簡、未発表の手帖・日記などをもとにまとめられたものだ。この本が「〜最後の肖像」の原作になっていたら、と思う。
「〜最後の肖像」の原作は『ジャコメッティの肖像』(みすず書房刊・2003年。英語版初版は1965年)という本で、著者のジェームズ・ロードはアメリカ・ニュージャージー生まれの美術評論家、エッセイストである。プロフィールには「ジャコメッティとは1952年に知り合って以来、終生最も親しい友人でありつづけた」とあるが、本を読むと矢内原との会話にあったような励まし、信頼、ウィット、哲学的なやりとりは、ほとんどない。
海外版の初版は1965年で、これはジャコメッティ死去(1966年1月11日)の前年にあたる。ジェコメッティの最晩年を描いたエッセイ、最後の肖像画のモデル、というのがロードの売りで、そこには多分に商売っ気も感じられる。「〜最後の肖像」のつまらなさの一端は、この原作にもあったと思う。それと比べて矢内原のなんと不器用かつ純朴であったことか。
かなうことなら『ジャコメッティ』を原作に、ジャコメッティ〜矢内原の日々を映画化してほしいが、それは無理な相談だろうか。ところで矢内原がジャコメッティとの日々を書き留めたノートは縦横15×10㎝、「どこでも売っているスパイラル綴じ」で全19冊、最初の1冊には次のような記述があったそうだ。
六月三十日[1955年]、コノ手帖ヲカルチエ・ラタン、ブルバール・サン・ミッシェルデ買フ。
常ニ携ヘ、一切ノモノヲ記録スルタメナリ。外界デハナク内界ヲ、印象デハナク思想ヲ、事象デハナク本質ヲ。
見ルコトガ、ソノママ生キルコトデアルホドニ。