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亡霊を観に美術館へ行こう

写真や映画はそれなりにわかるけれど、絵画はよくわからない。長年自分でもそう思ってきたし実際そうだと思う。彫刻はときどき、むむと思うものに出くわすが、それは立体であることが大きい気がする。写真を撮るときの目で見ているのである。どこまでいっても「取材的感性」なのだなと、ときどき情けなくなったりもする。


(これはパリのオルセー美術館)

そんなわけで海外に行っても美術館に行くことはあまりなかった。なかった、と過去形で書くのはアイルランドで国立美術館に行ってみたら望外に面白かったからである。入場料無料というのがよかったのかもしれない。巨匠っぽい絵の前に座って画面をぼーっと眺めているとツアーの団体客がやってきてガイドさんが絵の由来などを説明するのが耳に入ってくる。

その絵はカラヴァッジオが描いたもので19世紀に行方不明になり1990年に発見されたこと、画面中央に見える兵士の腕はデフォルメされていて実際よりも長いこと、などがわかった。タイトルは「The Taking of Christ」といった。

相変わらず美術音痴であることに変わりはないが、どうしたことか数年前パリのオルセー美術館で見た2枚の絵が妙に印象に残った。モネが描いた「日傘の女(右向き)」と「日傘の女(左向き)」。2枚並べて展示されていた。

参考までに書いておくと印象派はとくに好きではないし、モネのファンですらない。個人的にはゴッホやゴーギャンの方が気に入ると思っていたのだが、実際にはそっちは全然で、この絵だけがなぜか気になった。


(こういうのとか、ミレーの晩鐘とか、いろいろあったんですが)

このときはオーディオガイドを借りていたが「日傘の女」に音声ガイドがあったかどうかも記憶にない。直観的に「この絵に描かれているのは幽霊だ」「死んだ女の面影が人のかたちになっているのではないか」と感じ、なんとおっかない絵かと思った。

帰ってきて調べてみると日傘の女は10年ほどの間に3枚描かれており、オルセーにあったのは1886年制作の2枚、最初の1枚は1875年制作ということがわかった。1875年のほうは「散歩、日傘をさす女」というタイトルでモネの妻と息子が描かれている。ワシントンナショナルギャラリー所蔵。

「散歩、日傘をさす女」では女の目鼻立ちは普通に描かれている。よく見ると顔にベールがかかっているが、これは当時のファッションだったのだろうか。一方、帽子を被って左奥に立つ子どもの表情はほとんどわからない。描かれていないが、彼は両手をポケットに突っ込んでいるようだ。

画家は丘の下からふたりを仰ぎ見ていて、人物の向こうにはバックグラウンドとして青空と渦巻くような雲が広がっている。画面手前の草むらに女の影が黒々と伸びている(逆光なのだ)。幸せの情景と解説されることも多いようだが、個人的にはあまり穏やかではないというか、不吉なものを感じる。

4年後に妻のカミーユが亡くなり最初の絵から11年(妻の死からは7年)というタイミングでモネは2枚の「日傘の女」を描いた。「右向き」の方は印象派のパトロンだったオシュデ夫妻の三女ジュサンヌをモデルにしたと言われるが「左向き」もジュサンヌがモデルなのかどうかは絵画マニアではないのでよくわからない。比べてみると「左向き」の方が、人物の抽象度が高いように見える。

「右向き」が生前の姿そのままの亡霊だとしたら「左向き」はなにかを依り代にしてこの世につかの間あらわれた人形(ひとかた)という感じだ。印象派というと、ふんわりした雰囲気の明るい絵ばかりだと思っていたのだが、こんな絵があったとは。モネは、この2枚を最後に人物画を生涯描かなかったという。

そういえばジブリの映画「風立ちぬ」の初期ポスターはモネの「日傘の女」をモチーフにしていた。モネの日傘の女、風立ちぬ(松田聖子の歌ではなく堀辰雄の小説)とくればヒロインが死ぬのは明々白々でストーリーを追う愉しみはあまりなかったが、主役の声があまりにすごかったので違った意味で衝撃を受けた。

ところでこれはオルセーで展示されていたマルセル・プルースト若き日の肖像画。「失われた時を求めて」を書く作家は若いときからやはり、こんな人であったのだ。この絵を見たぼくは彫刻と同じように、むむと唸った。

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