4月15日、有楽町朝日ホールで「石牟礼道子さんを送る」と題した式がおこなわれた。
「追悼式」や「お別れの会」ではなく、「石牟礼道子さんを送る会」でもない。ただ「石牟礼道子さんを送る」としたところに惜別の感が出ていて、よいタイトルだと思った。
(開演前の様子。観客の平均年齢は比較的高く60代より上の方が大半であるように思われた。会場内は女性がやや多いという印象)
石牟礼道子さんは1927年熊本県天草生まれ。谷川雁の主宰するサークル村に参加して詩歌を書き、のちに小説、エッセイなども書いた。代表作は「苦海浄土 わが水俣病(1969年)」である。あくまでも「田舎に暮らす普通の主婦」として、ことばを綴るところに石牟礼さんのユニークさ、勁さがあった。
(画像 via Amazon。全三部の一冊目)
会場となった有楽町朝日ホールは収容800名弱だが、30分前に着いたときにはすでにほぼ満席。空いている席は数席しかなかった。入りきれない人はワンフロア下の会場に案内され式典の様子をモニターで見たという。来場者数は千名以上。会場に入りきれなかった人もかなりいたらしい。式次第を見ると生前石牟礼さんとかかわりのあった人がずらりと並んでいる。
講演
緒方正人 漁師
高橋睦郎 詩人
若松英輔 批評家
発言
澤地久枝 作家
北川フラム アートディレクター
栗原彬 社会学
土屋恵一郎 明治大学学長
中村桂子 生命誌
田中優子 法政大学総長
臼井隆一郎 ヨーロッパ文化論
米本浩二 毎日新聞
進行
実川悠太 水俣フォーラム
(会場で配られたパンフレット=右と、水俣病六十年の小冊子)
式次第にも追悼や悼辞といった表現は一切使われていない。予定されていた登壇者のうち澤地久枝さんは欠席。進行役の実川さんによると4月14日の国会前デモで頑張りすぎて体調を崩したということだった。事前に美智子皇后が会場を訪れたという話もあったのだが、そのときふと思い浮かんだのは『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』という本のことである。
(画像 via Amazon。 髙山文彦著 講談社刊)
この本の著者、髙山文彦さんには以前インタビューをお願いしたことがあり、その際に石牟礼道子さんと水俣病についてもかなり時間を割いて話してもらった。水俣病と国、企業との裁判の歴史は、自分がここ数年関わっている題材ともかなり共通する要素が多い。このような影響の結果として、いまの自分がある。
どの登壇者の話も興味深かったが、とくに印象に残ったのは緒方正人さん、若松英輔さん、米本浩二さんの3人。(最初に挨拶に立った石牟礼さんの長男、石牟礼道生さんの話もよかった)弁舌さわやか、立て板に水といった話し方ではまったくないのだが、ことばのひとつひとつ、エピソードのひとつひとつに言いようのない思いが込められていて、それがこちらに刺さってくるような気がする。
若松英輔さんが引用した一節。
「詩人とは人の世に涙あるかぎり、これを変じて白玉の言葉となし、
言葉の力をもって神や魔をもよびうる資質のものをいう」
若松さんは、この文章を訥々と二回繰り返した。田中正造を描いた『谷中事件 ある野人の記録・田中正造伝』(大鹿卓著)という本があり、その再刊に寄せて石牟礼さんが書いたものだという。
Twitterで検索してみたところ、新泉社の公式アカウントによるこんなTweetがあった。
石牟礼さんは詩人について書いているのだが、これは「綴る力をもち、書くべきなにごとかに出会ったすべての書き手」に突きつけられたことばである気がする。言葉の力をもって神や魔をもよびうる資質のものをいう──。自分もそのはしくれのつもりで書かなければならない。