ウルリケ・ヘルマン著 猪俣和夫訳『資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか(太田出版)』を読んだ。原書は2013年初版、日本語訳は2015年の刊行。原題は「資本の勝利」だが、本の内容に即してあたらしく日本語タイトルをつけたとのこと。「資本の勝利」だけでは何の本かわからない、売れようがない、という現実的な理由もあったと思われる。ドイツではかなり売れたらしい。
サブプライム・ローンとリーマンショックが引き起こした世界同時不況、99Percentersによる金融街占拠などを踏まえ、なぜそのようなことが起こったのか、経済史という観点から捉えなおすというのが、この本が書かれたきっかけだったという。前書きでヘルマンは経済史家チャーチルズ・P・キンドルバーガーの言葉をひいてこう書いている。
「今日の経済理論は演繹的手法が大はやりなようで、実に美しくエレガントな数学的モデルを構築しているが、しかし、どれひとつとして人間の行いを写し取るアプローチにはなっていない」
アメリカの大学に通う学生のうち理数系のエリートはウォール街を目指すと言われる。給料が桁違いに高額であるからだ。彼らがひねり出す数学的モデルは投機を正統化するために使われる。その数式や理論を理解している人は、おそらくほとんどいないだろうし、極論すればそれが正しいかどうかすら、じつは大した問題ではない。必要だからつくり出したまで、というところ大であって、倫理的に正しいかとか人を幸せにする商品かどうか、などということは前提条件にすら入っていない。
限りなく詐欺に近い理論を追ってもしかたがない、資本主義の歴史と資本の流れ、そこに関わった人間の心理などを再検証した方がよっぽど役に立つ、というのがこの本の基本コンセプトで、それにはまったく同感だ。
リーマンショック後の混乱と、その前段階でどんな悪事が行われたかについては『インサイド・ジョブ』という映画があった。
(アメリカ公開2010年、日本公開は2011年。この手の映画ではもっともよくまとまっていると思うが、基調となるトーンは重く、決して心躍る内容ではありません)
『資本の世界史』第二章では資本に関する3つの誤りと題して「資本主義は市場経済ではない」「資本主義は国家と対立するものではない」「グローバリゼーションは新しいものではない」といった一般のニュースとはちょっと違った視点が提供される。歴史的事実を列挙、検証したあとヘルマンはこう書く。
「要するにグローバリゼーションが新しいわけではないのです。それが新しく見えたのは、賃金を抑え、企業に対する税金を低くし、金融市場の規制を緩和するための論拠として新自由主義者が乱用したからです」
1929年に起きた世界恐慌についての考察も面白い。1927年のアメリカでは国民の10分の1しかいない富裕層が国民所得全体の40%を占めていて、最上位の1%がGDPの24%を所有していたというデータがあるそうだ。富裕層はごく少数であり、彼らが膨大に何かを消費するわけではない。破格の贅沢をするかもしれないが、それにはおのずと限界があるからだ。富裕層がいくらブランド品を買っても経済は好転しないのである。
労働者の賃金も低く抑え、残ったカネは会社の内部留保とする。バランスシートが良好ならば経営者には莫大な額の給料が支払われる。こうした傾向は第一次世界大戦後にとくに強まっていったそうだが、これは驚くほど今の世界と似ている。
お金はますます増えていくが、労働者はお金をもっていないのでモノは売れない。そこで富裕層は手持ちのカネを投機に回して、さらに増やそうとした。誰もブレーキがかけられず、その先に待っていたのは世界恐慌だった。その後、不況、ナショナリズム、排外主義の台頭などを経て第二次世界大戦が起きる。一般市民が支払った代償は大きかった。(一方で資本家や政治家などは必ずしも被害を被らなかった)
訳者あとがきにも書かれているが、ヘルマンは新自由主義の過激な批判者というわけではない。「資本主義を正しく捕らえなおせば、もっといい解決方法がある」というのが彼の基本姿勢で、その考察はたとえば「公的資金を入れて銀行を救済することは悪いこととはいえない。救済する方が失う金額は少なかった」というような結論に行き着いたりする(損益という視点から見て、この判断は正しい)。
元々がこういう立ち位置の人だから、結論として明確な理想や革新的未来像が提示されるわけではない。当然の結果として読後感もあまりぱっとしない。
ヘルマンは政府がより強い権限を持ち、累進課税を強化して富を再分配しなければならないとも言う。2016年のアメリカ大統領予備選で民主党のバーニー・サンダースが社会民主主義的主張を前面に出し、それをとくに若者(新自由主義で将来もっとも損害を被るのは彼らだ)が支持するという現象が見られたが、新自由主義の歪みを少しずつでも取り去っていくには──民主的な手法でという意味では──おそらくこの方法しかない。そんなことやってられるか、という人たちはナショナリズムに走りつつある。そんなことが世界各地で起きている。
第二次世界大戦後のアメリカは富裕層への課税を重くして富の再分配を積極的におこなった。結果中間層の所得が増え、彼らの消費がアメリカを空前の好景気へと導いていく。黄金の50年代と呼ばれる時代は戦後の明るい雰囲気だけでなく、税制によっても支えられていたということだ。そして、それは大恐慌〜WWIIという歴史の反省から導かれたものだった。
その後、富裕層と人のもつ強欲さの巻き返しが功を奏して(富裕層優勢が決定的になったのはレーガノミクスあたりだろうか)現在はほぼ世界恐慌前と同じ状態にまでなっている。ここから社会民主主義に舵を切ることができるのか、それともまた経済破綻→戦争へと進んでいくのか。
歴史を振り返ってみれば破綻を回避できる可能性はかなり低いと考えざるをえないだろう。歴史は繰り返すという箴言があるけれども、あれは人は歴史から学ばないの言い換えではないかと思ったりする。