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性善説と全体主義を捨てれば、英語は上達するか

内閣支持率は低迷しているが衆議院選挙では自民党が勝つという統計結果が出ているという。なんとも非論理的な話でにわかには信じがたいが、ごく一般的な日本人の本音というのは、そんなものかもしれないとも思う(世論調査が十二分に誘導的であることを差し引いたとしても)。

ごく一般的な家庭で育った日本人は、小さな頃から「まわりに迷惑をかけてはいけない」「ほかの子と同じようにしなさい」「(ほかの子同じであるという前提において)頑張りなさい」と言われ続ける。

最近では個性を伸ばす、みたいなことを謳う教育機関もあるようだが、それはあくまでも「全体の調和を乱さない範囲における個性」であることが前提だ。その証拠に共同体の平和を乱すような子どもがあらわれた場合、彼/彼女はすぐさま批判や攻撃にさらされるだろう。その攻撃は教師だけでなく、自分の横に座っているクラスメイトからもおこなわれるはずだ。

教育の内容もかなり偏っているように思われる。受験のためのテストは暗記が中心であり、その多くは長文記述ではなく選択問題だ。トリビア・クイズのように微細なことを答えさせる問題も多いが、日本ではこうした質問にもそつなく答え、高得点を取る子どもを「頭がいい」と呼ぶ。選別はそうやって緻密に容赦なく進んでいく。「女子力が高い」とか「空気を読む」といったいやな表現も、この延長線上にあるのではないかと、ぼくは思っている。

暗記中心のポップクイズで高得点を取るには集中力と一定以上の時間が必要だ。ごくまれに「一度見たら写真のように覚えてしまう」記憶力をもつ人もいるが、そういう人はごく少数派であって、多くの人は苦労して「将来なんの役に立つのかわからない(そういう疑問さえもたないで記憶に努めているのかもしれないが)」問いと答えをひたすら暗記し続ける。将来のためだ、と自分に言い聞かせるわけだが、それができずに落ちこぼれてしまう子どもも多くいる。ぼくからすれば落ちこぼれる子どもの方が、むしろまともな感性の持ち主だ。

「大人になったら勉強しなくてもいい」というフレーズは、子どもたちにとって福音のように響くのではないだろうか。実際、社会人になって知的好奇心をもちつづける人は、あまり多くない。勉強というのはできることならしたくない「いやなこと」なのだ。会社勤めの人は生活の大部分が自分の仕事と職能に関することで占められてしまうし、それ以外の時間(といっても数分から数十分単位でしかないのだが)はスマートフォンの画面に釘付けになることで消費される。

日本は戦後長らく「お任せ民主主義」でやってきた。戦後になるまで女性参政権もなかった日本は、アメリカ軍の占領によって民主主義国家であるということになった。とはいうものの、民主主義も国民主権も天から降ってきたようなものだから、どう使っていいかわからない。選挙や議会はあるのだが「えらいセンセイたちに任せておけば間違いないだろう」ということで代議士のセンセイに一任、それで一件落着ということになった。

経済的にうまくいっているうちは、それでも問題なかったが、景気が停滞し新自由主義や強欲資本主義が幅を効かせるようになって状況は一気に暗転した。政治家や資本家、官僚の暴走を止めなければいけない。しかし「お任せ」しかしたことのない市民の意識はそうそう簡単には変わらない。3.11以降、ネット世界に生きる人の意識は徐々に変わってきたと思うが「政治をやるのは政治家の仕事ではないか。そのために高い給料を払ってるのだろう」「政治なんてものにいちいち関わるのは面倒だ」そういう意識の人はまだまだ多い。

という話を昨日あたりからなんとなく考えていて、何かに似ていると気がついた。英会話である。

以前、英会話教室の取材をしていたときに「教室に通う生徒のうち、どれくらいの人が英語を話せるようになるんですか」と質問したことがあった。年間チケットを数十万だして買い、英語ネイティブの講師から指導を受ける。場合によってはマンツーマン指導もある。単純に好奇心から訊いてみたのだが、取材に対応してくれた女性の答えは、ちょっとびっくりするようなものだった。

「厳密な数字ではないですが、英会話教室に通う人のなかで、ちゃんとしゃべれるようになるのは大体3%前後と言われていますね」

日本人の3%ではなく、英会話スクールに通う全員のなかでしゃべれるようになるのが3%だというのだ。正直言ってかなり驚いた。50人のクラスがあったとしたらしゃべれるようになる人は単純計算で1.5人、25人クラスだとその数は1人にも満たなくなってしまう(0.75人)。少人数指導を謳っているスクールはたいてい5人以下の少人数制だが、そのクラスが6つあったとして、しゃべれるようになるのは1人いるかいないか。そういう確率ということだ。

日本では中学校から英語教育を始め、高校、4年制大学まで入れると8〜10年ほどの期間にわたって英語を勉強する。それでなぜ話せるようにならないかというと、まず第一には受験科目、つまりトリビア・クイズの材料としてしか英語を扱っていないからだ。クイズをいくら解いても話せるようにはならない。みんなそのことにはなんとなく気づいている。英語を話せるようになりたいと思う人が英会話スクールに行く理由がここにある。

第二の理由は「日本語で文章を考え、それを英訳しようとする」ことにあるのではないか。当たり前だが日本語と英語は別の言語であり、ものごとを表現するときの言い方、考え方も当然のことながら異なっている。

昔、テレビで自宅軟禁中のアウンサンスーチーに逮捕されるおそれがありますね、という意味でafraidという単語を使ってインタビューする日本人記者を見たことがある。おそれがあるというフレーズをそのまま「恐れる」という単語に置き換えたのだ。質問に対する彼女の答えは「私は逮捕を恐れてなどいません」というものだった。

日本語と英語の物言いがいかにかけ離れているかはメールを英語で書いてみるとよくわかる。長々とした時候の挨拶、慣用句、意味があるのかないのかわからないような言いまわしなどを省くと、英文は驚くくらい簡潔なものになってしまう。A4一枚分の日本語が数センテンスで済んでしまうなんてことも決して珍しくない。

ここから脱するには今までの勉強が無意味だったと認め、実用本位でフレーズと単語を覚えていくしかない。彼の地のライフスタイル、文化習慣、歴史なども並行して覚えていくと、より理解は早く進むだろう。日本の英語業界のなかには「正確な英語で話さなければ相手に失礼だ」などといって威嚇を加える人がよくいるが、そういう人のことは完全に無視して構わない。

失敗は当たり前なので通じなかったからといって臆する必要はまったくない。発音や表現を変えて何度もトライする。しゃべる内容がまったくの無内容でも困るので、しゃべれるようになるにつれ自前の意見というやつも徐々に必要になってくる。「間違いを恐れる」「空気を読む」ことが習い性になっている日本人にとっては、このあたりちょっとハードルが高いかもしれない。でも大丈夫。東南アジアや非英語圏のヨーロッパで話されている英語も決して完璧ではない。ときに流暢な人もいるが、それと同じくらいブロークンな人もいる。

単語(スラング含む)と決まり文句(慣用句、イディオム)を覚える努力は、ずっと続ける覚悟が必要だ。手間を惜しんでは今より前には進めない。あともうひとつ。ある一定期間、英語漬けになった方が進歩するスピードも速くなる。このあたり自転車やクルマの運転にちょっと似ている気がする。

まとめると、日本人的なマインドセットを捨てて思い切って英語の世界に飛び込む、現地の生活習慣や人間関係のあり方を見て、その基本に自分を合わせていく、勉強する手間は惜しんではいけない、ということだ。

この資質は、じつは民主主義社会をささえるときにも同じように役に立つ。そのとき人は初めて「自由意志をもった個人である」と認識される。社会からも、まわりの人からも。

そのためにはまず根拠のない性善説と全体主義、そして甘え(知的怠惰さもここに含まれる)を捨てることが必要なのだ。
今こそ、そのときだと思うのだが。

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